第35回 「蓄える」場と「流す」場(9)

こんにちは、荒木洋二です。
インターネットの普及、それに伴う多様なコミュニケーション手段の出現により、広報領域におけるDX(デジタル・トランスフォーメーション)は進展を続けています。大企業においてはニュースルーム、オウンドメディア、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)という三つのデジタルメディアをどう組み合わせるか、各社が苦心しています。
企業が自社の魅力(情報)を「蓄える」場をニュースルームといいます。その最適な組み合わせとしての「流す」場の代表がSNSなのです。今回は、「『蓄える』場と『流す』場」と題した連載の第9回です。
情報発信の4要素とは目的・対象・手段・内容です。前回から当連載の最終章として「内容」について解説しています。当カテゴリー「ニュースルーム・アカデミー」(全38回)の締めくくりでもあります。
筆者独自の視点で今回も深く掘り下げていきます。
前回、情報とは信頼の礎を築く「資源」だと述べました。そして、「情報」は次の3つが備わる重層構造で成り立っていることを明らかにしたのです。
・事実:あらゆる現場で起きた出来事の「ありのまま」
・感情:その現場を体験した人たちの「心の内」にある思い
・文脈:体験そのものと、その前後における事実と感情の「流れ(変遷)」
「ネタ探し」による情報は資源にはなり得ません。関係資本の視点が完全に抜け落ちているからです。
◆会社視点オンリーの情報発信の限界
しかし、現在、情報発信の現場では「ネタ探し」とは言わないまでも、かなり偏った情報があふれています。何かといえば、ほとんどの内容が会社視点オンリーで占められています。要は「自分の話」になっています。それは「会社しか登場しない物語」のようです。採用、営業に関わる情報を見てみてください。その内容を振り返ってみてください。
採用の場合、次のような構成が大半です。
・募集要項
・社長メッセージ
・新入社員の1日
・先輩社員のインタビューおよび応募者へのメッセージ(数人)
募集要項や社長メッセージは、確かに必要最低限の情報です。職場の「リアル」を伝えることは、求職者が望む内容であることは間違いありません。しかし、その内容を精査してみると、どうも会社に都合よく、きれいに切り取られ、編集され過ぎた情報ばかりです。
「ありのまま」とは言えません。質が十分ではないのです。加えて、情報量も非常に乏しいといわざるを得ません。
営業に関する情報も同様です。商品・サービスの詳細、導入実績として著名な会社名やロゴを掲載しています。短く編集された「顧客の声」は無機質です。IR(株主向け広報)も義務としての情報開示、財務実績が中心です。会社の姿しか見えてきません。登場人物が見えません。ここでも関係資本の視点が抜け落ちているのです。
これまで挙げた採用、営業、市場に対する情報の内容は、いずれも現場の熱量、臨場感が感じられません。感情が見えないのです。登場人物もごくわずかです。物語の体をなしていません。残念ながら、会社視点オンリーの情報ばかりです。事実だけでは人々の意識、判断、行動を変容させることはできません。情報が資源として成立していないということです。
◆5つのステークホルダーの物語
永続を目指す会社の物語において、登場人物は無機質な「人格」が見えない主体としての「会社」だけでしょうか。そんなことはありません。今、目の前にいて日々コミュニケーションしているステークホルダーたちは全て登場人物です。本来、経営の本質からみると登場人物でなければならない関係者なのです。
なぜなら彼らは、本質的には価値を共につくる仲間たちだからです。「仲間たち」といえる関係を築くべき、かけがえのない者たちです。
ステークホルダーは、社員、顧客、取引先・パートナー、株主、地域社会という5つの種別で構成されています。
(※筆者は、現在ではここに報道関係者を加え、6種類としています。ただ、当連載ではこれまで述べてきた通り、5つとして進めます。)
社員、顧客、取引先・パートナー、株主、地域社会は、関わり方には明らかに違いがあります。その種別特有の立場で会社と関わり、コミュニケーションを重ねるなど、さまざまなことを体験します。関係が長くなれば、その体験が個々の中に積み重なって蓄えられていきます。
体験とは絵空事ではなく、紛れもない「事実」です。その体験には必ず「感情」がひも付いています。ポジティブな感情に絞れば、次のとおりです。
・喜び
・満足
・誇り
・好意
・共感
・信頼
・愛着
・応援
それぞれのステークホルダーたち個々の心の中には、体験にひもづいた「感情」が積み重なって蓄えられているということです。小さいかもしれませんが、その一つ一つがつながることで会社と関わった物語になるのです。
・社員の成長物語
・開発秘話
・プロジェクトの舞台裏
・顧客体験
・パートナーとの共創エピソード
・株主の投資決断の舞台裏
・地域住民との交流
5つのステークホルダーの物語があるのです。ステークホルダーそれぞれの物語は企業にとってみると、本質的には全て無形資本なのです。正確に言えば、無形資本の「種」です。
◆可視化した感情をニュースルームに蓄積
企業にとって、この多くの「種」を価値に変えない理由はありません。種を育て、価値に変えるために何をすればいいのか。事実とともに感情を可視化するのです。感情を言葉として引き出すということです。そして、その感情をストックすることが決定的に重要です。
可視化する代表的な方法は次のとおりです。
・(社員との)対話
・(セミナーなどに登壇)体験談を発表
・アンケート
・インタビュー
・座談会
対話というリアルなコミュニケーションは、感情を知る端緒として有効です。しかし、対話した内容はその場で「消費」されてしまい、空間を共有していない人には届きません。言葉がストックされません。体験談も同じです。アンケート結果はストックして分析できます。ただし、深い感情を引き出す方法としては適していません。
「記事」とすることを目的に行うインタビューや座談会が最も感情の可視化には適しています。事実と感情を「記事」にしてストックする場所が、ニュースルームです。「蓄える」場がニュースルームであることは繰り返し述べていることです。
では、何を「蓄える」のかといえば、ステークホルダーたちの感情です。感情を可視化して、つまり記事にしてストックすることがニュースルームの役割なのです。個々の可視化された感情(=記事)が価値の最小単位です。記事の一つ一つが感情資産だということです。そしてその記事がステークホルダーと接触、接続することで感情資本となり、関係を築くのです。これが関係資本の最小単位としての「情報=資源=記事」です。
ニュースルームは、感情資産の集積地であり、関係資本を生み出す場といえます。
次回は「事実をどう物語へと編集するのか」をテーマに解説します。
