第36回 「蓄える」場と「流す」場(10)

こんにちは、荒木洋二です。

インターネットの普及、それに伴う多様なコミュニケーション手段の出現により、広報領域におけるDX(デジタル・トランスフォーメーション)は進展を続けています。大企業においてはニュースルーム、オウンドメディア、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)という三つのデジタルメディアをどう組み合わせるか、各社が苦心しています。

企業が自社の魅力(情報)を「蓄える」場をニュースルームといいます。その最適な組み合わせとしての「流す」場の代表がSNSなのです。今回は、「『蓄える』場と『流す』場」と題した連載の第10回です。

情報発信の4要素とは目的・対象・手段・内容です。当カテゴリー「ニュースルーム・アカデミー」(全38回)の締めくくりとして、「内容とはそもそも何か」を筆者独自の視点で深掘りしています。

前回の要点を再確認してから、今回の本題へと話を進めていきます。

ステークホルダー個々の可視化された感情(=記事)が価値の最小単位です。記事の一つ一つが感情資産です。そして、その記事がステークホルダーと接続することで感情資本へと変わります。資本とは価値を生み出す能力のことです。ですから感情資本によって関係が築かれます。これが関係資本の最小単位としての「情報=資源=記事」です。

ニュースルームは、表面的には単に記事を羅列し、蓄積してある場にしか見えません。従来の広報視点でいえば、社内報や広報誌などを統合した集積場という解釈でとどまるでしょう。しかし、その本質は、感情資産の集積地であり、関係資本を生み出す場なのです。

◆記事が読まれない、心に刺さらない理由とは

大企業、先進的な中堅企業やスタートアップは、デジタル空間で広報を積極的に推進しています。ウェブ社内報、オウンドメディア、ニュースルームを展開している企業も増加しています。どのサイトにも記事が日常的に発信、公開されています。しかし、一部の企業を除いてはサイト来訪者に読まれない、心に刺さらない記事ばかりが羅列、蓄積されているのが実態でしょう。

なぜ、そういう状態が生まれるのか。理由があります。「情報=記事」は「事実+感情+文脈(意味づけ)」の三層構造です。結論をいえば、この三層が淀みなく「編集」できていません。

社内外で実際に行われた出来事を、事実としてそのまま記事にしています。顧客、社員のインタビューも事実は明記されていますので、事実は理解できます。しかし、事実にひもづく感情、その流れ(プロセス)、企業(商品・サービス)との関わりや接続が見える文章になっていないのです。意味がある文章として成立していません。意味が分からない、という状態なのです。

記事そのものが編集されていない、ということです。なぜ、そんな記事が生まれるのか。主体としての企業が明確な意思、意図を持って編集していないからです。これでは何も伝わりません。心に刺さるはずがありません。

◆ストーリーの基本構造を知る

三層構造が確立された記事は、一つのストーリーとして成立しています。短いし、小さいかもしれませんが、確かな「物語」が息づいています。何が違うのか。
重要なのは「文脈」です。文脈とは、体験そのものと、その前後における事実と感情の「流れ(変遷)」のことです。それは、価値が生まれるプロセスを明らかにすることといえます。企業の明確な意思が反映された記事、つまり意味付けされた記事なのです。

文脈が明確となることで、確かなストーリーとして読み手に受け取られます。ここで、企業におけるストーリーの基本構造を示します。

・BEFORE → 転機(=選択) → AFTER

人生とは選択の連続であることはよく知られています。選択するから転機が生まれます。この基本構造はすなわち記事を作成するための取材内容ということです。では、社員、顧客のイタンビュー内容はどうなるのか。最も基本的な分かりやすい例を挙げます。

■社員

・BEFORE:(入社前)どんな仕事をしてきたのか(どんな人生を送ってきたのか)
・転機(選択):(入社理由)なぜ当社で働こうと決めたのか、決めては何だったのか
・AFTER :(入社後)どんな時に働きがいを感じるのか、どんな体験をしたのか

■顧客
・BEFORE:どんな課題を抱えていたのか、どんなことに関心があったのか
・転機(選択):なぜ当社の商品・サービスを選んだのか、決めては何だったのか
・AFTER :購入・利用してみてどんな変化があったのか、どんな体験をしたのか

当たり前のことを述べます。
企業のステークホルダー(社員、顧客、取引先・パートナー、株主)になる。これはどういうことを意味するのか。自らの意思でその選択をしたから、ステークホルダーという立場に立ったのです。それまでにはない選択をしたから、それは「転機」です。
どのステークホルダーも何らかの理由があって、自ら選択しているのです。
その理由は自らの意思と価値観に基づいてなされるものです。このことを言語化することが決定的に重要なのです。

◆信頼と共感を醸成するためのストーリー

選択した瞬間から、企業の人生と個人の人生が合流します。両者が接続されるという現象がそこには起きているのです。意思と価値観が接続されたということです。もちろん、その接続の度合いには強弱や濃淡はあります。しかし、間違いなく接続されたのです。企業のストーリーに個人のストーリーが連結されたといえます。
意思決定、選択、判断の瞬間、そして、その前後を明らかにする、つまり言語化します。「事実+感情+文脈」が確立された記事だけが、読み手に伝わる「核」を持っているのです。
すると、類似した体験、近しい価値観を有する人(社員、顧客、取引先、未来のステークホルダーなど)はその記事が心に刺さります。インタビュー対象者と企業そのものに対する共感が生まれます。記事に現れた事実と感情の意味が自分事として理解できます。だから企業に対する信頼も醸成されます。

信頼や共感が醸成されることで、関係資本は初めて増えます。「刺さらない記事」は関係にポジティブな変化を生じさせることはできません。関係自体が価値を生み出せていないのです。これは関係資本とはいえません。
社員となってからの失敗、葛藤、苦悩、乗り越えた達成感、充実感、仲間との一体感などを事実とともに感情を可視化します。一つ一つの体験は企業という組織の中で起きています。組織とのつながりなしには体験し得ないこと、生まれない感情があります。そこには企業の価値観と個人の価値観のつながりが生まれています。
構造として個人のストーリーが、企業のストーリーの一角を成しています。世代の異なる社員、さまざまな背景のある顧客、協力関係にある取引先など、実に多種多様なストーリーが現場では生まれています。多種多様な関係が生まれています。だから「ストーリー=関係性の文脈装置」として機能するのです。

◆企業は人格を兼ね備えた生命体

こうして一つ一つの記事が、ステークホルダー個々と接続されることで、企業のストーリーが紡がれていきます。一つの明確な意思と価値観に基づいた文脈がそこには息づいています。
だから、筆者は企業は人格を備えた生命体であると思うのです。金融資本主義が唱えた単なる「箱(=無機質な物質)」ではありません。法律が示すところの「法人格」(契約主体としての人格)でもありません。「企業人格」という視点を持つこと。経営にこの視点を持たないとこれからの時代の企業経営は成り立たないかもしれません。
次回は、「蓄える内容」と「流す内容」の2層構造の設計をテーマに解説します。

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