#03 「責任の境界線」第1回 よいことをしているはずなのに、なぜ矛盾が起きるのか

責任の境界線 ― 環境問題から始める社会設計
第1回 よいことをしているはずなのに、なぜ矛盾が起きるのか
2月27日、金曜日の朝9時。いつものように、自宅でZoomを立ち上げた。
平日毎朝続けている「みんなのHomeRoom」。
2年半続く朝のルーティンだ。コーヒーを片手に参加する人もいる。
その日は、川田ともみさんによる毎週金曜恒例のワンポイント講座の日。最近取り上げているインドネシアの環境教育。
インドネシア・バリ島にある「グリーンスクール(Green School Bali)」の話。全て竹でできた校舎。自然と共生する徹底した環境教育。壁のない開放的な空間で、体験型の学習を通じてサステナブルな未来を担うリーダーを育成している。
前週までは、どこか希望を感じる話だった。
今回は3Rの概念から、先進国から輸出される廃棄物の問題に移ったとき、空気が少し変わったのが分かった。講座後、参加者の一人がこう言った。
「日本の分別も、実は矛盾を抱えていますよね」。
画面越しにうなずく人がいる。
「生ゴミだけだと燃焼効率が悪い。プラスチックがあった方がよく燃える。だから、分別が必ずしもしCO₂削減につながるとは限らない」。
私は思わず手元のスマホにメモした。分別すればよい。リサイクルすればよい。
そこまでで私の思考は停止していた。あえて考えないようにしていたのだろう。
よいことをしているはずの行為が、別の負荷を生んでいるとしたら。
HomeRoomが終わったあと、私は整理のために、AIの「Perplexity」に問いを投げた。環境問題の現状と課題、そして解決のプロセスをどう捉え、どう実行できるのか。どこから始めるのか。
返ってきた回答は、体系的で冷静だった。画面に並ぶ論点は、例えばこうだった。
・ゴミの輸出問題
・焼却と発電のトレードオフ
・国際的な廃棄物統治の課題
どれも正しい。
だが、最後の「実行の論点」まで読み進めたとき、私はふと立ち止まった。どこから始めるのか。制度か。技術か。国際協定か。
制度も、技術も、どれも必要だろう。しかし、それ以前に問い直すべきことがあるのではないか。
そのとき、心の奥に浮かんだ言葉があった。やはり、ここは「境界」なのではないか。
ゴミは、どこへ消えるのか。
家庭の外へ出た瞬間に、それは自分の問題ではなくなるのだろうか。
国境を越えた瞬間に、責任も移動するのだろうか。
数十年後に影響が出るなら、それは今の判断とは切り離されるのだろうか。
環境問題は、単なる3Rの話ではない。
・どこまでを自分の責任圏とみなすのか
・その境界線の引き方が、結果を変えているのではないか
・分別は間違っているのか
・焼却は悪なのか
・リサイクルは善なのか
そう単純ではない。だからこそ、私はまず「責任の境界線」を問い直すところから始めたい。
HomeRoomのあの朝は、小さな違和感だった。しかし、その違和感は、思っていたよりも深い場所につながっている。
私たちは、どこで責任を手放しているのだろうか。そして、その境界線は、いつ引かれたのだろうか。
