#05 「責任の境界線」第2回 環境問題の責任は、誰のものなのか

責任の境界線 ― 環境問題から始める社会設計
第2回 環境問題の責任は、誰のものなのか
前回、私は「みんなのHomeRoom」で生まれた小さな違和感を書いた。
分別すればよい。
リサイクルすればよい。
それが環境問題に対する「正しい行為」だと、私たちはどこかで前提にしている。
しかし、その前提が揺らぐ瞬間があった。
生ゴミだけでは燃焼効率が悪い。
プラスチックがあった方がよく燃える。
つまり、分別すればするほどCO₂削減になるとは限らない。
その話を聞いたとき、私は思った。私たちは、3Rをどこまで理解しているのだろうか。
◆3Rという「正しい言葉」
3R。
・Reduce(リデュース)
・Reuse(リユース)
・Recycle(リサイクル)

環境問題を語るとき、
この言葉はほとんど疑われない。
学校でも教えられる。
自治体の分別ルールにも書かれている。
企業の環境方針にも登場する。
疑う余地のない「正しい言葉」だ。
実際、3Rの考え方自体は極めて合理的だ。
- そもそもゴミを減らす
- 使えるものは繰り返し使う
- どうしても出るものは資源として再利用する
順番としても理にかなっている。
リデュース → リユース → リサイクル。
しかし現実では、この順番が守られているとは限らない。
◆私たちは何をしているのか
日常生活を思い浮かべると分かる。
多くの場合、私たちがしているのは「リサイクル」だけだ。
分別する。
回収日に出す。
それで環境に配慮した行動をしたような気持ちになる。
もちろん、それは意味のある行為だ。
しかし、そこには
一つの錯覚も潜んでいる。
「リサイクルすれば大丈夫」という安心感だ。
◆リサイクルの限界
実際には、リサイクルにも多くの制約がある。
回収。
分別。
洗浄。
再加工。
すべてにエネルギーが必要になる。
場合によっては、新しい資源を使って作り直す方が効率的なこともある。
さらに、リサイクルできる回数にも限界がある。
プラスチックは品質が劣化する。
紙も繊維が短くなる。
つまり、リサイクルは万能ではない。
◆それでも3Rは必要だ
ここで誤解してほしくない。
3Rが間違っているわけではない。
むしろ逆だ。
3Rは、
人間社会が初めて本格的に
「資源の循環」を意識した重要な概念だった。
ただし、それは「入口」だったのではないか。
3Rという言葉が広がったことで、私たちはようやく「ゴミは消えていない」という事実に目を向け始めた。
◆もう一つの問い
前回、私はこう書いた。
ゴミは、どこへ消えるのか。
この問いをもう少し言い換えるなら、ゴミは、誰のものなのか。
家庭のゴミは、家の外に出した瞬間に自治体のものになる。
自治体の処理施設を通れば、今度はエネルギーや排出物として別の場所へ移る。
場合によっては、国境を越える。
そのたびに、責任の境界線も移動しているのではないか。
◆違和感の正体
HomeRoomのあの朝、私が感じた違和感はここにあった。
分別をしている。
環境に配慮している。
しかし、その先で何が起きているのかはほとんど知らない。
私たちは、自分の境界の内側だけを見ているのではないか。
もしそうだとしたら。
環境問題の本質は、ゴミの処理技術だけではない。
どこまでを自分の問題として引き受けるのか。
その境界線の引き方にあるのではないか。
次回は、
もう少し視点を広げてみたい。
私たちは普段、
どこに境界線を引いているのか。
自治体。
国家。
そして、時間。
その境界の外側で、何が起きているのだろうか。
