#10 「責任の境界線」第3回 責任はどこで止まるのか

責任の境界線 ― 環境問題から始める社会設計

第3回 責任はどこで止まるのか

第2回で、私は3Rという言葉の向こう側にある構造を見ようとした。

・Reduce
・Reuse
・Recycle

その順番は合理的でありながら、
現実の中ではしばしば逆転している。

私たちはリサイクルに安心し、
そもそも減らすという問いからは距離を取っている。

しかし、それ以上に気になったのは、別の点だった。

◆責任は、どこで区切られているのか

ゴミを出す。

家庭の外へ。
自治体の回収へ。
焼却施設へ。
あるいは海外へ。

この一連の流れの中で、
私たちはどこまでを自分の責任として考えているのだろうか。

多くの場合、答えは明確だ。

「出したところまで」

そこから先は、
回収する人の仕事であり、
処理する自治体の責任であり、
さらに先は別の誰かの領域になる。

責任は、境界で区切られている。

◆境界はなぜ存在するのか

境界があること自体は、問題ではない。

むしろ、境界がなければ社会は機能しない。

  • 家庭と自治体
  • 自治体と企業
  • 国内と海外

役割を分けることで、社会は効率的に動く。

しかし、その境界が

責任の終わりとして扱われるとき、
問題が生まれる。

◆見えなくなるということ

ゴミは消えない。

ただ、見えなくなるだけだ。

焼却された後の排出物は、大気へと拡散する。

海外へ輸出された廃棄物は、別の土地の環境負荷になる。

私たちはそれを直接見ることはない。

だからこそ、
「終わった」と感じてしまう。

◆制度は何をしているのか

ここで、もう一つの問いが立ち上がる。

私たちが日々従っている分別ルールや回収の仕組みは、
いったい何をしているのだろうか。

それは単に、

・ゴミを効率的に処理する仕組みなのか

それとも、

・責任の範囲を区切る仕組みなのか

おそらく、その両方である。

制度は、
役割を分担し、
処理を円滑にし、
社会を機能させる。

しかし同時に、

「ここまでがあなたの責任です」

という線を引いている。

◆善意が分断される瞬間

分別をする。
リサイクルに出す。

それは確かに善意の行為だ。

しかし、その善意は境界の内側で完結している。

境界の外側で何が起きているかは、制度の外に置かれる。

このとき、善意と結果が分断される。

◆問題はどこにあるのか

ここまで考えてくると、問題の位置が少し変わって見えてくる。

環境問題は、

・個人の意識の問題でもない
・技術の問題だけでもない

それは、

責任の境界をどこに引くかという問題である。

そしてその境界は、自然に存在しているのではなく、制度によって引かれている。

◆循環は設計できるのか

もしそうであるならば、境界は固定されたものではなく、
見直すことができるはずだ。

どこまでを自分の責任として引き受けるのか。
どこからを他者に委ねるのか。

その設計次第で、

  • 見えるもの
  • 見えなくなるもの
  • 引き受けられるもの
  • 切り離されるもの

が変わってくる。

環境問題とは、

資源の問題であると同時に、設計の問題でもある。

制度は、善意を支えることもあれば、善意を分断することもある。

だからこそ、
その境界線がどこに引かれているのかを、見つめ直す必要があるのだと思う。

そして私はいま、
その境界をどう設計し直すかを考えている。

#00 なぜ、この記録を始めるのか

前の記事へ TOPへ