クラファン活動報告(56)2度目の起業を機に「広報」と向き合う 〜映画制作会社の倒産と自己破産
2度目の起業を機に「広報」と向き合う 〜映画制作会社の倒産と自己破産
皆さん、こんばんは。温かいメッセージやご支援に心から感謝しています。ありがとうございます。
私が広報・PR業界に飛び込んだのは1997年4月。クライアントがデジタル領域専門のPR会社に知人の紹介で入社。
つまり、この4月から広報・PR歴28年目に入りました。
現在の株式会社AGENCY ONEを1人で起業したのが2006年8月。
まもなく18年を迎えます。
実は入社から起業までの間に、映画制作会社を起業しています。
今の会社は2度目の起業なんです。もともと私を先述のPR会社に紹介したくれた人が映画監督でして、その縁からPR会社の上司に承認を得て、今でいう副業として立ち上げました。
さまざまな事情が重なり、私が代表として立ったのです。
当時のPR会社での仕事(パブリシティ)は、とにかく毎日がおもしろくて仕方ありませんでした。全てが新鮮、新しい知識を得られ、スキルが着実に磨かれ、身に付いていることも実感できる日々。
ただ、PR会社に入社する以前、地に足がついていない大風呂敷を広げたような活動に従事していた影響もあったのか、何か大きなことを成し遂げてみたい、という思いが残っていたのだと思います。
「映画制作」の言葉に魅せられ、映画監督がいるから大丈夫だろうという甘えも加わり、無謀な挑戦を始めたのです。
当たり前のことですが、PR会社の仕事に一切支障が出ないようにして、映画制作の仕事にも奔走する日々を送ることになります。
かつて経験のない重圧やストレスを抱え、権謀術数渦巻くビジネスに翻弄され、最後はあえなく撃沈。裁判も起こされ、負けるし、1億円を超える借財を抱え、返せるあてなどなく、最後は会社は倒産。
破産手続きを依頼していた弁護士事務所担当者が病で倒れる。約2年近く宙ぶらりん、塩漬けのような生活が続きます。住まいも横浜市青葉区に引っ越しせざるを得なくなる。ようやく自己破産の手続きを終え、免責されたのが2006年春。
そこで前回の反省を踏まえ、覚悟を決めて2回目の起業。今の会社を立ち上げたのです。ここから本気で「広報」に向き合う日々が始まったのでした。