【ポッドキャスト #15】そもそも「情報」って何だろう? 四つの要素を分解して考える
「情報」の定義を紹介します。マーケティング、広報、ブランディングの全てに共通しているのが「情報」だからです。
情報発信は四つの要素で構成されています。目的、対象、内容、手段に分けることで本質が見えてくるのです。
情報とは、人々の意識、判断、行動に影響を与え、変化を促すもの
荒木: 皆さん、おはようございます。
濱口: おはようございます。
荒木: 今週も『広報オタ倶楽部』をお届けしていきたいと思います。
『広報オタ倶楽部』は、本来の広報、企業広報の在り方を広めるべく、28年にわたって企業広報活動を支援してきた私、荒木洋二による「オタク」目線で語る広報の哲学ラジオです。聞き手は・・・
濱口: 濱口ちあきです。
荒木: 今週も始めていきましょう。よろしくお願いします。
濱口: お願いします。
荒木: 濱口さん、この1週間で、何か考えたことや感じたことはありますか。
濱口: 私は琴を習っていて、最近、東京で開催された(私の習っている流派の)大きな演奏会を聞きに行ってきました。その会場では100人ぐらいが演奏しています。ですが、皆さん淡々と演奏していて、一言も話さないんです。お家元でさえ何も話さない(あえて言葉を発することはなく、演奏に注力する)。
荒木: 演奏オンリーということかな。
濱口: そうなんです。演奏会の最後の最後に、お家元が「ありがとうございました」と一言を伝えるだけでした。パンフレットには、お家元のあいさつや会全体の思いなどが示されていたのですが、演奏会では一言も発さず(一般的に、そうした場ではいろいろな思いを伝える場が設けられる中)、演奏だけしかしない(演奏に徹する)ことが、渋くていいなと感じました。
荒木さんが、この前(#11放送回)で「No No Girls」(日本の女性ラッパー兼シンガーの、ちゃんみながプロデュースしたガールズオーディション・プロジェクト)の話をされましたよね。そうした情報に触れて(舞台裏を知ること)から「もっと知りたい」という思いになりながらも、今回の演奏会のように「『何も情報がない』ことも、いいな」と感じます。その極端な「情報発信の違い」を目の当たりにして、改めて「情報ってなんだろう」と思ったんです。
今、「情報がうるさい」とか「情報が多過ぎる」などと感じる人が増えています。ですが、そのような中で「情報が足りない」と感じる場面もあるんです。だからこそ、改めて「情報とは」について考えました。
荒木: そうだよね。私たちは働きながら、情報があふれる中で生きている。(そんな情報社会の中で)「言葉」は、とてもややこしいものだと思う。例えば、「広報」「ブランディング」「マーケティング」「アピール」「プロモーション」など、(一見すると意味の似たような)いろいろな言葉がある。これらの言葉は全て「情報」に関わっている。そして、よく「情報発信」や「情報共有」、「情報提供」など、さまざまな言い方で「情報」という言葉が使われる。そんなとき、私も「そもそも情報って、なんだろう」と考えることがある。
私は1年ぐらい前に、朝日新聞の(元校閲センター長)前田安正氏と出会った。彼は、朝日新聞に最初から校閲担当として入社し、校閲の担当者として勤め上げた、ちょっと面白い人。校閲というのは、記事の文章やその内容が正確かどうかを確認する仕事。彼は、それを一貫して続けてきた人。そんな彼が、退職の何年か前(正確な時期は覚えていないのですが)、朝日新聞で日本語や国語、漢字などに関するコラムを書き始めた。そして、それをきっかけに本を出版するようになった。今では、すでに(言葉や文章に関する)10冊以上の本を出版している。
濱口: すごいですね。
荒木: 彼の本には、必ず書いてある言葉がある。最近の本(彼の著書)では、2025年3月、『AIに書けない文章を書く』(筑摩書房刊)が発行され、その本にも書いてある。私は、前田氏の解釈に腹落ちして、分かりやすいと思うので、私の2冊目の著書(『図解入門ビジネス 最新ブランディングの基本と動向がよ~くわかる本』、秀和システム刊)の中でも前田氏の定義する「情報」について触れ、「前田氏は『情報』をこのように定義しています」と示している。まずは、その解釈について分かりやすく説明するね。
前田氏の著書には、「情報とはヒト、モノ、コトを変化させる記号」であると示されている。もう少しブレイクダウンをすると、「情報とは、人々の意識、判断、行動に影響を与えて変化を促すもの」である。例えば、天気予報の天気図を見て「今日、雨だな」と思ったら、「傘を持って行こう」というように行動が変化する。また、道路などの標識も同様に、人々の意識、判断、行動に影響を与えて変化を促す。だから、それらも全て情報なんだよね。
そう考えると、「情報とはヒト、モノ、コトを変化させる記号」と示される意味が分かり、必ずしも音声や文字とは限らない、と理解できると思う。
濱口: そうか、あれも情報になりますもんね。
荒木: ただ、われわれが(企業広報など)企業において「自分たちの会社がどのようにして成長していくか」を考えた場合、そうした意味での「情報」としては、「人々の意識や判断、行動に影響を与え、変化を促すものこそが情報である」という認識が最もしっくりくると思う。
この「情報」と同じような意味合いで、「言葉」や「言語化」という単語がある。そのあたりは、ちゃんと整理して考える必要がある。だから、「マーケティング」「ブランディング」「広報」というと、特別なことのように思えるけれど、それら全ては「情報」を扱っている。例えば「情報発信」について考えるとき、その目的は何か、対象・相手は誰か、どんな内容を発信するのか、情報を発信する手段は何か。この四つに分けて考えると分かりやすい。
濱口: そこまでちゃんと考えて情報発信をしている人は、あまりいないですよね。
荒木: 情報を発信したときには、それがうまくいったのか評価や反省をする。そうした場合には、四つの要素にそれぞれ分けて見ていかないと、反省の仕方も改善の仕方も間違えてしまう。まず、何のために、どういう目的で情報を発信しようとしてるのか。相手とは、一体誰なのか。どういう内容を伝えればいいのか。そして、最後に、どのような手段で発信したらいいのか(SNSや手紙など、さまざまな手段がある)。そのように、四つの要素に分解して考えていった方が、本質を見余らずに済むと思う。これは、とても大事な話。
濱口: 面白いですね。
情報発信における2段階の目的と2種類の情報とは
荒木: 私は、情報を発信する目的は二つあると思っている。(あえて単純に)大きく分けて2段階の目的がある。一つは、「知らないということは、存在していないに等しい」ということ。例えば、採用や営業などにおいて「知らない=存在していない」から、選択肢にも上がらない。
採用でいえば、「入ってみたいな」とか、営業でいえば、「この製品やサービス買いたいな」など。他にも、「この会社に投資してみたいな」とか、「面白い会社に取材してみたいな」とか、みんながそれぞれの立場で考えたり思ったりする場面で、その選択肢に上がらない。本当は、その人にとって「共感できる」「自分と合う」会社、あるいは製品やサービスであったとしても「知られていない」から選択肢に上がらないまま終わってしまう。
だから「知らせる」ことで「認知」してもらう。まずは、「こんな会社があるんだ」「こんな製品・サービスがあるんだ」と認知してもらう。「どんな会社なのか」「どんな製品・サービスなのか」といった理解を深めてもらう。それが第1段階にある。
そして、第1段階の目的である「選択肢に上がる」ことは大事だけど、それだけでは終わらない。大切なのは、そこから「この会社に入ろう」「エントリーしてみよう」「あのお店に行ってみよう」「ネットで買ってみよう」と、実際に「選んでもらう」段階に進んでもらわなければ意味がない。だからこそ、「知らせるための情報発信」と「(選んでもらうための)選ばれるための情報発信」、この二つが必要なんだよね。
もっと言えば、選ばれ続けなければ意味がない。大雑把に言うと、「こういう会社があるんだ」と分かって(知ってもらって)、選択肢に上がるまで情報をたくさん取って理解を深めていく段階と、いろいろな選択肢がある中で「やっぱり、この会社(商品・サービス)がいいよね」と選んでもらう段階がある。このように2段階の目的があって、それぞれ目的が違うから、発信する情報の内容も変わってくる。
濱口: そうですね。
荒木: 「情報の内容は、どういうのがいいのか」というと、いろいろな表現の仕方があるけれど、私はざっくりと言うと2種類あると思っている。
一つは「理性」に働きかける情報。これは、左脳が反応する部分で、論理的に「この会社はこういう特徴がある」とか、「この製品はこんなスペックなんだ」といった「理性」。
もう一つは「感性」に働きかける情報。これは右脳の方。例えば、「この会社の人たち(製品を作っている人たち)、なんかいいな」とか、「この商品を使っている人たちに共感できるな」または、「同じ商品を買ったら、自分にも同じことが起きるかもしれないな」など、そうした人の感情を揺さぶったり、共感したりする気持ちにつながる「感性」。
そのように、心を動かす側には2種類の情報がある。だからこそ、それぞれの情報を一つ一つ分けて考えていく必要がある。
さらに「手段」においても、「直接届ける」のか「間接的に届ける」のかで異なる。「手段」については、私は自分のコラムで、「情報発信をひも解く」(3000字ほど)というテーマで何回連載したか分からないほど、語っているんだよね。
手段には、「表現手段」と「伝達手段」がある。「表現手段」は、映像、漫画、音声、文字、あるいは、それらを組み合わせたものがいいのか。情報をどう伝えるかといった表現の方法を指す。
一方で「伝達手段」は、どう届けるか。SNSやメール、広告、あるいは、人づてなど。そういった届け方を指す。でも結局のところ、「情報ってそもそも何だろう」というところを、一つずつ分解して考えなければ、反省も改善もできないと思う。
濱口: そうですね。
荒木: 案外、みんな手段先行なんだよね。例えば、「この媒体に出したけど、うまくいかなかった」とか、「ちゃんと手段は使ったのに反応がなかった」など、「手段」だけで判断してしまいがち。それは、届けたい相手を間違っていたのかもしれないし、届けたい内容が、あと一歩のところで(相手の心に届かず)振り向いてもらえなかっただけだったのかもしれない。そうした細かいところまで分析せずに、「この方法・手段ではうまくいかなかった」と、つい単純な理解や解釈で終わらせてしまう傾向があると思う。
濱口: それは大いにありますよね。
思いを言葉にして、媒体にすることで「いつでも」「どこでも」反復可能に
荒木: だからこそ、情報はちゃんと切り分けて考えなければいけない。そして、もう一つ「情報」に関わる話をするね。
口頭ベースでの情報=言葉(のやり取り)は、発した瞬間に消費されてしまう。録音でもしていない限り、その瞬間に消えていく。全ての言葉が相手の記憶に残るわけではないから、断片的な記憶にしかとどまらない。
それでも、こうして自分の声で話をすると、その声には個性が現れる。「No No Girls」の応募メッセージにもある「あなたの声と人生を見せてください」という言葉が示すように、声という直接の音声からは、その人の情緒を感じられ、感情的なものが伝わってくる。
濱口: この『広報オタ俱楽部』の話も、録音しているからこそ残りますが、たとえ、私が聞いたとしても、それを他の人たちにそのまま伝えることはできません。全てを話すのは難しいですし、どうしても私の解釈が入ってしまいます。そうなると、元の話とは違った話になって伝わってしまう可能性があります。
荒木: この『広報オタ俱楽部』は、放送の1週間後(毎週木曜日)に私(当社)が運営しているニュースルーム「広報人倶楽部」内でコーナーを設けて、テキスト版(文字のみ)として掲載しているんだよ。それを改めて読み直すと、自分でも「なるほど」と振り返ることができる。そうすることで、記憶にも残るし、理解も深まる。
やはり、言葉は私たちがコミュニケーションを図る上でとても大事だよね。言葉によって意思疎通を図っているわけだから。
その「言葉」は何かしらの媒体に記録しなければ、他の人と共有できないし、蓄積もできない。この場で発した(交わした)言葉は、録音や録画などして記録しなければ、その場で消えていってしまう。例えば、「何か楽しい話をしましたね」と、そうした思いだけは残るのかもしれない。でも、「どんな内容の話だったのか」「あんなに、いい話していたのに・・・何を話していたのか」となる。それは、すごくもったいないことだと思う。
(前述の話の繰り返しになるけれど)実際に、『広報オタ俱楽部』テキスト版を自分で読み返すと「(われながら)なかなか、いいことを言っているな」と思うんだよね。
濱口: めちゃくちゃ自画自賛するじゃないですか。しかも、二回も! でも、本当に「良い話」だから、いいんですよ。
荒木:そうした行動を自分でも取りながら、「やっぱり言葉にする(記録に残す)ことは大事だな」って実感する。「記録するもの」のことを「媒体」という。英語では「メディア(media)」と呼ばれている。メディアとは何かというと、簡単に言えば「仲立ちするもの」。特に、情報のやり取りにおいては、送り手と受け手の間に立って、その情報を伝える手段という意味で使われる。そして、言葉を「媒体」に載せることで、言葉はしっかりと形として残り、いつでも(必要なときに取り出して)使えるようになる。いわば、「反復性」を持たせることができるわけだよね。
例えば、雑誌も言葉をたくさん印刷する媒体の一つ。ビジネス誌などでは、有名な経営者へのインタビュー記事がよく掲載されている。その内容は編集者によって編集され、紙という媒体に印刷されて、全国の書店に並び、それをみんなが読む。その読者は記事を読んで、「この経営者の言葉、心に響くな」と感じたり、「このインタビュー、すごくいいな」と思ったりする。それらのことは、言葉が「紙」という媒体に記録されて残っているから。だからこそ、たくさんの人に届けることができるし、繰り返し読むこともできる。
思っていることを言葉にして、それを媒体に記録すること。このことが実は、企業広報において重要な意味を持つ。むしろ、それこそが広報の本来の役割だと思う。私たちはそのことをしっかり考える必要がある。
例えば、よく「広報って、大企業がやるものですよね」という声を耳にする。確かに大企業は(広報をしっかり)やっているから、そう思うのだろう。だけど、「大企業だけがやるものだ」という見つめ方はどうなのだろう。
自分たちの会社が、何を思い、何をしようとしているのか。社員が(日々の仕事で)どんな体験をして、何を感じているのか。自分たちのお客さんが、自社の製品やサービスを使ってどう変わったのか、どのように感じているのか。それらのことを自ら言葉にしたり、社員やお客さんたちに言葉にしてもらったりしなければ分からないし、伝わらない。そして、(前述でも話したように)言葉にして残しておかないと、消えて記憶からも薄れていく。
だからやっぱり、「言葉にすること」そして「それをきちんと媒体に記録として残していくこと」が、企業広報においてとても大事だと思う。口頭でのコミュニケーションだけでは補いきれないものがある。そこが大事なところだね。
「大企業がやるもの」「みんながやっているから」の呪縛
濱口: そうですね。「広報って、大企業がやるものでしょ」という企業もあれば、「みんなやってるから、うちもTikTokでも始めてみようか」と、(よく考えずに、はやりに乗ろうとするような)発想で動こうとする人(企業)も見られます。
荒木: そうだよね。そうした場合、われわれ(広報に携わっている人たち)は「情報を扱っているんだ」あるいは、「情報をどうしようと思っているのか」を考える。情報には、「入ってくる情報」もあれば、「こちらから掘り起こさなければ見えてこない情報」もある。「掘り起こさなければ見えてこない情報」には、社員が何を感じながら働いているのか、などがある。それは、こちらからインタビューして聞いてみない限り、その思いは言葉にならず情報として生まれてこない。その情報は、(社員)本人の心の内にとどまっているに過ぎないんだよね。
少し難しい言葉で表現すると、(少し意味は異なるけれど)知識的なもので「暗黙知」と「形式知」という言葉がある。言葉にされない体験(経験)は、本人の心には残っているけれど、誰とも共有できない。それは本人の中にとどまっていて、形になって現れていないから(周囲には)分からない。どんなに良いさまざま体験をして、いい意見を持っていたとしても、それを言葉にしなかったら、埋もれたままで、誰にも影響を与えることはない。自分で体験したことがあるからこそ、新しい思いが生まれ、意識や判断、行動に変化を与えている。そうであるにもかかわらず、言葉にしなければ自分の中だけにとどまって終わってしまう。そのようなもったいない話はたくさんある。
企業はもっと、「自分たちの目の前にいる人たち」が何を感じているのかを聞いて、情報を言葉に変えてもらう。そのようにして情報を共有して、(必要なときにいつでも)反復できるようにしたいね。言葉にしてもらわないと、せっかくの経験や思いが誰にも伝わらない。
濱口: そうですね。社員の皆さんが(日々、働いている中で)思っていることや感じている(何気ない言葉の中)には、決して軽視できないものがありますよね。だからこそ、そうした皆さんの声をもっと発信した方がいいなと思っていました。
荒木: これから話す内容は、また次回、改めて話したいと思っていることだけど、少しだけ触れておくね。「そもそも、企業が情報を伝える相手って、誰なんだろう」ということ。そこには、時に陥りやすい失敗がある。例えば、マーケティングの世界ではよく「ターゲットは誰ですか」という言葉が使われる。だから、広報でも同じ発想になってしまいがち。でも、そのことを冷静に考えると異なる世界が見えてくる。そうした内容で次回も、もう一度「情報」について話をしたいね。
濱口: 面白そうですね。
荒木: 濱口さんがさっき言っていたように「広報って、大企業がやるものでしょ」というパターンと、「みんながやっているから、うちもTikTokでも始めてみよう」というパターンがある。「TikTokを始めてみよう」というのは、「手段」の話なんだよね。その手段を通じて、「誰」と「どのような内容の情報」をやり取りすることが1番適しているのか、ということを考えなければならない。
「みんながやっているから、うちもやろう」という判断ではなく、まず目的があって、伝えたい対象や内容がある。それらを考えたうえで、「じゃあ、そのための手段はどうするか」と考える。場合によっては、「(複数の)手段を組み合わせた方が伝わる」こともある。なぜなら、情報を受け取る側も、たった一つの手段だけから情報を受け取っているわけではないから。われわれは日々、さまざまなパターンで情報を受け取っているから、たった一つだけでは足りるはずがないんだよね。
このあたりも、丁寧に分解して見ていかないと、感性だけで判断したり、「なんとなく良さそう」という感覚や情報に流されて意思決定したりしてしまいがちになる。結果として、「じゃあ、うちもTikTokやろう」「とりあえず踊ってみよう」という単純な思考に陥ってしまう(もちろん、TikTokが全て「踊るもの」ではないし、使い方次第では効果的な手段になる)。だから、手段だけに目を向けるのではなく、(まずは目的や対象、内容など)分解して考えてみませんか、ということを一番伝えたい。
というところで、もう、(放送終了時間の)20分が経っている気がする。
濱口: あっという間の20分ですね。
荒木: 次回、もう一度この「情報」について、お伝えできればと思います。
濱口: ぜひぜひ、お願いします。
荒木: 一旦、今日はこれで終わります。(放送日は)すでに4月に入り、2025年も4分の1が終わったということですね。
濱口: 恐ろしいですね。まだ、私の気持ちは「明けましておめでとう」という感覚です。
荒木: 皆さんの中には、4月から新学期や新年度、ということで新しい気持ちで出発している人もいると思います。この新年度に今一度、「情報」について考えてもらえればと思います。
次回も「情報発信」や「情報」について、濱口さんとお届けします。
濱口: はい、楽しみです。よろしくお願いします。
荒木: 皆さん、今日も1日、頑張っていきましょう。いってらっしゃい。
フォローもお願いします。
濱口: お願いします! いってらっしゃい。