【ポッドキャスト #35】メインMCの荒木洋二って何者!? (その2)

荒木がPR会社に入社する以前から、現在も経営する会社の起業前後に何があったのか。
政治・選挙に関わるボランティア、映画制作会社起業、事業失敗、自己破産など、その過去を赤裸々に語っています。
現在の広報に関する理論を構築するまでの背景にも触れています。

音声(番組)は以下より聴取できます。
・ポッドキャスト:#35
・Spotify:#35

以下のとおり、要約しました。

要約

荒木は32歳(になる年)でPR会社に入社する前、若い頃に自民党の選挙活動をボランティアとして支援していた。
区議会議員選挙から国政選挙まで、知名度調査やポスター貼りなどの活動に携わっていた。1986年の衆参ダブル選挙では、中曽根首相率いる自民党が365議席を獲得し、投票率も70%を超える高さだった。
その後、ある映画監督との出会いをきっかけにPR会社に入社した。入社後2、3年経った頃、映画制作会社の経営にも関わるようになった。
政治的・国防的なテーマの映画を制作したが、資金調達の困難や業界内の複雑な人間関係に巻き込まれ、最終的に1億1000万円の借金を抱えて自己破産することになった。
免責期間を経て、2006年8月にAGENCY ONEという会社を設立した。2004年からはリスクマネジメント団体の事務局長を務め、後に理事、副理事長を経て、2013年には理事長に就任している。
荒木は「見る・聞く・考える・話す」という基本的なコミュニケーション要素を広報の基本と捉える。この基本を押さえたうえで、さまざまな分野(マーケティング、行動経済学、公共哲学など)への関心を広げていった。
不動産研修会社の依頼で15時間の広報講座を開発したり、スタートアップ企業向けに20時間の講座を作成したりと、広報教育にも力を入れてきた。
リスクマネジメント団体での経験も重要で、広報誌の制作や大手企業へのインタビューなどを通じて実践的なスキルを磨いてきた。これらの経験と学びが相まって、現在の広報に対する考え方や哲学が形成されたと語っている。

政治活動の経験

荒木はPR会社に入る前、若い頃に自民党の選挙活動をボランティアとして支援していた。区議会議員選挙から国政選挙まで、知名度調査やポスター貼りなどの活動に携わっていた。1986年の衆参ダブル選挙では、中曽根首相率いる自民党が365議席を獲得し、投票率も70%を超える高さだった。
荒木は多摩の団地で深夜に自民党の広報誌をドアポストに投函するなどの活動をしていた。

PR会社入社と映画制作への挑戦

ある映画監督との出会いをきっかけにPR会社に入社した。入社後2、3年経った頃、映画制作会社の経営にも関わるようになった。政治的・国防的なテーマの映画を制作したが、資金調達の困難や業界内の複雑な人間関係に巻き込まれた。
映画は一般公開され、初週興行収入ランキング5位になるなど一定の成功を収めたが、会社は経営難に陥った。

借金問題と自己破産

映画制作の過程で1億1000万円の借金を抱え、ゴシップ雑誌の取材を受けるなど困難な状況に直面した。調布から横浜市に引っ越して住所を隠すなどの対応をしたが、最終的に自己破産することになった。
免責期間を経て、2006年8月にAGENCY ONEという会社を設立した。

広報哲学の形成

起業後、「企業の人格」という概念に着目した。広報とは企業の人格を作り、伝えることだと考えるようになった。「見る・聞く・考える・話す」という基本的なコミュニケーション要素を広報の基本と捉える。
この基本を押さえたうえで、さまざまな分野(マーケティング、行動経済学、公共哲学など)への関心を広げていった。

広報教育と実践

不動産研修会社の依頼で15時間の広報講座を開発したり、スタートアップ企業向けに20時間の講座を作成したりと、広報教育にも力を入れてきた。
同時に2004年からはリスクマネジメント団体の事務局長を務め、後に理事、副理事長を経て、2013年には理事長に就任し、現在に至っている。

リスクマネジメントと広報の融合

リスクマネジメント団体での経験も重要で、広報誌の制作や大手企業へのインタビューなどを通じて実践的なスキルを磨いてきた。これらの経験と学びが相まって、現在の広報に対する考え方や哲学が形成された。

最後に

荒木は今後、メディア・リレーションズや記者発表会、リスクマネジメントについても「オタク目線」で語りたいと述べている。
濱口は荒木の経歴について「掘れば掘るほど底が見えない」と感想を述べ、番組は暑い日が続く中での体調管理を視聴者に呼びかけて終了した。

以上

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