警察広報を描くドラマから、広報の本質を考える:第1回 広報は、何をしているのか

警察広報を描くドラマから、広報の本質を考える

第1回 広報は、何をしているのか
  〜「報道対応」では収まらない仕事が、そこにあった〜

企業における広報は、いまだに報道機関との関係づくりや、パブリシティの仕事として理解されがちである。もちろん、それは広報の一部ではある。だが、それだけで広報を捉えることには、私は以前から強い違和感を持ってきた。

広報とは、単にメディアに情報を届ける仕事なのか。
広報とは、記事にしてもらうための仕事なのか。
そうした理解では、どうしてもこぼれ落ちてしまうものがある。私はそのことを、実務のなかで繰り返し感じてきた。

警察広報を描くドラマを見て

今回、警察の広報課を主人公にしたテレビドラマを見た。警察広報を正面から描く作品は極めて珍しい。しかも、そこに描かれていたのは、私がふだん抱いている「広報とは何か」という問いを、別の角度から照らし返してくるような世界だった。

もちろん、ドラマである以上、それをそのまま現実の警察広報の実態として受け取るつもりはない。演出もあるだろうし、物語としての誇張もあるだろう。だが、それでもなお、この作品には、広報という仕事を考え直すうえで見過ごせない視点が含まれていたように思う。

「情報を出す」では収まらない

そこでまず目に入ってきたのは、広報課の仕事が「情報を外に出すこと」だけではまったく収まっていないということだった。

記者と向き合う。
会見の準備をする。
捜査側とやり取りをする。
何をどこまで伝えるのかを調整する。
いつ出すのか、いま出すべきでないのかを考える。
外に向けた説明だけでなく、組織内部の事情や判断とも向き合う。

そうした一つ一つを見ていると、そこにあるのは単なる「報道対応」ではない。言葉を整える仕事である前に、状況を調整する仕事がある。情報を出す前に、すでに広報は多くのことを引き受けている。そのことが、このドラマではかなり前景化されていた。

境界に立つ仕事としての広報

ここで私は、以前から抱いていた違和感の輪郭を、あらためて見せられた気がした。
広報は、外に向かって情報を発信するだけの部署ではない。
組織の内側と外側のあいだに立ち、何をどう接続するのかを引き受ける仕事でもある。
外に向けて言葉を整える前に、内側の事情と向き合い、外部との関係を見極め、どこまで開くのかを調整する。
そうした営みまで含めて見たとき、広報は「発信」よりも、むしろ「境界に立つ仕事」として見えてくる。

この「あいだに立つ」という感覚は、広報を考えるうえで案外見落とされやすい。広報はしばしば外向きの仕事として理解される。だが実際には、外に向かうためには内側との調整が欠かせない。しかもその調整は、単なる段取りではない。何を守るのか、何を優先するのか、何を今は言わないのか。そうした判断の積み重ねがある。

広報を、もう一度手前から考える

だからこそ、「広報はメディア対応の仕事である」と言ってしまうと、たしかに一面は合っていても、重要な部分を取り逃がしてしまう。報道機関との関係ももちろん大切である。だが、広報の役割は、そこに還元されるほど小さくはない。

今回のドラマを見て、私が最初に揺さぶられたのは、まさにその点だった。そこに描かれていたのは、記事化を目指す部署ではなく、組織と外部環境のあいだで、絶えず言葉と状況を調整し続ける人たちだったのである。

私はこれまで、企業広報がパブリシティに矮小化されていることを問題にしてきた。だが今回の作品に触れて、その違和感をもう一段手前から問い直したくなった。そもそも広報とは、何をしているのか。

情報を出すこと。
説明をすること。
関係をつくること。

どれも間違ってはいない。だが、それだけでは足りないのではないか。広報とは、もっと境界に近い場所で働く仕事なのではないか。

その問いから、少しずつ考え直してみたい。

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