第3回 人が、地域をつないでいく――佐賀アジアドリームズ

球団は、地域の何になるのか――プロスポーツと関係資本
第3回 人が、地域をつないでいく――佐賀アジアドリームズ
前回、北海道ボールパークFビレッジを、異なる理由と役割で人が戻れる「場」の事例として見た。では、大規模な開発を持たない球団は、何を媒介に地域との関係をつくるのか。佐賀アジアドリームズでは、その起点が、地域で暮らす選手という「人」にある。
球団公式サイトによると、2026年シーズンは、インドネシア、スリランカ、カンボジア、パキスタン、インド、韓国、グアム、そして日本の8カ国・地域の選手で構成された。海外選手は単身で来日し、嬉野市の宿舎で共同生活を送る。シーズンを終えるとチームはいったん解散し、海外選手はそれぞれの国へ帰る。
人が動けば、新しい関係は生まれる。だが、その人が移動した後にも関係が残り、選手自身にも価値が返る仕組みになっているか。佐賀は、この問いを最も鮮明に見せる事例である。
| 第3回の中心命題 人が動けば、関係は生まれる。だが、その関係が選手の移動後にも残り、選手自身にも価値を返す仕組みになって初めて、地域の関係資本と呼べる。 |
起点は、地域活性化ではなかった
球団の出発点は、地域からの誘致でも、佐賀の地域課題でもなかった。運営会社の福原佑二代表は、2018年にインドネシアで野球普及活動に参加し、道具や指導環境が乏しく、上の舞台を目指しにくい選手たちを見たと説明する。既存の実業団構想や日本球界への選手獲得が実現しない中で、「ならば自ら作ろう」と球団づくりへ動いた。
運営会社は2023年に設立され、球団は2024年に佐賀インドネシアドリームズとして活動を開始した。2025年に現在の名称へ変わった。つまり、起点にあったのは、アジア各国の選手がプロへ挑戦できる入口をつくる構想である。佐賀は、その構想を受け止める活動拠点になった。
スポーツ産業の国際展開を支援するスポーツ庁のプラットフォーム「Japan SPorts business INitiative(JSPIN)」に掲載された2025年のコラムは、選手育成に加え、在日アジア人との交流や、佐賀とアジアの経済交流を球団が目指す姿として整理する。ただし、これは目標と期待の記述であり、成果の独立した評価ではない。
地域との制度的な接点は、活動開始前からつくられた。武雄市、嬉野市と運営会社は2023年11月、ホームタウンパートナーシップ協定を締結した。武雄市議会での市の答弁によると、市は試合や練習で使う球場の確保と使用料の減免を担う。Fビレッジのような大型開発ではなく、既存の施設と行政の仕組みが、人が活動できる足場になっている。
暮らす選手が、地域との接点になる
佐賀での接点は、試合日だけに生まれるわけではない。選手は同じ宿舎で暮らし、言葉、文化、宗教の違いを日常の中で調整する。発足当初は、監督の日本語を日本語が分かるインドネシア人選手が訳し、さらにインドネシア語が分かる選手がスリランカ人選手へ伝えるという多段階の通訳も行われていた。
サガテレビの2024年の取材では、選手が週6日の練習の合間に武雄市のこども園を訪れ、交流会を月に1回ほど行っていた。家族を母国に残して来日した選手もいる。取材を受けた選手は、練習後の疲れに触れながらも、子どもとの時間を楽しいと語った。
ここでは、選手は競技者であるだけでなく、生活者であり、異なる言語をつなぐ仲介者であり、地域の子どもが世界に触れる入口でもある。大きな施設を新たに造らなくても、人が地域の日常へ入ることで、接点は生まれる。これが佐賀を「人起点型」と読む理由である。
応援される側から、地域を応援する側へ
人が媒介になる特徴が最もよく表れるのが、2025年に始まった農業プロジェクトである。球団は武雄市・嬉野市の耕作放棄地で、地元農家と米や野菜を育てた。選手とスタッフは、機械の入らない田で手刈りを行い、390キロの米を収穫した。作物は選手の食事に使われ、米やみそなどの販売にもつながった。2026年には田んぼオーナー制度へ広がっている。
日刊スポーツの取材で香月良仁監督は、農家に不足する人手を選手が補い、球団が商品の発信を助ける構想を説明した。地域に応援してもらうだけでなく、選手も農家を応援する。その考え方には、支援を一方向にしない互酬性がある。農家は土地と知恵を提供し、選手は体を動かし、球団は発信する。作物は選手の生活と球団の事業へ戻る。
ただし、活動したことと、地域課題を解決したことは同じではない。解消した耕作放棄地の面積、農家の負担軽減、販売の収支、参加が継続的な関係へ変わったかは、公開資料から分からない。確認できるのは、互酬性を実践しようとする回路が動き始めたことまでである。
佐賀とアジアの間に、回路が生まれる
人の動きは、佐賀の内側だけで完結しない。2025年には、所属選手がフィリピンやパキスタン、ドイツの代表活動へ戻った。2026年1月には、球団がカンボジアの私立学校に野球アカデミーを開き、8歳から12歳までの子ども70人が開校式に参加した。
さらに2025年11月、埼玉西武ライオンズは佐賀アジアドリームズとの業務提携を発表した。内容は、アジア各国の有望選手情報とスカウティングの連携である。各国から佐賀へ選手が来る。佐賀で経験を積んだ選手が代表へ戻る。球団の指導やネットワークが各国の育成現場へ向かう。そして、日本野球機構(NPB)へ続く道を組織間でつくろうとしている。
ただ、佐賀の所属選手がNPBや米大リーグ機構(MLB)へ移籍した実績は、まだ確認できない。アカデミーが継続し、帰国した選手が指導者や紹介者となり、次の選手や知見が佐賀へ戻るのかも、これからである。「人材循環型」は、完成した成果ではなく、複数方向の回路が形になり始めたという仮説にとどまる。
人が媒介だからこそ、人を制度で支える
佐賀の可能性を考えるほど、選手の生活と権利を見落とすことはできない。2026年の査読論文で石原豊一は、球団経営者への聞き取りを基に、2024年の選手報酬は約6カ月の活動期間で月額換算約9万~36万円、多くは10万円前後だったと報告する。外国籍選手には寮が無償提供され、食事手当と社会保険料も球団が負担した。
石原はまた、競技成績だけでなく、異国から来た選手の成長過程をスポンサー価値として示す「物語性」の経営と捉える。ただし、論文は単一球団の2年間を対象にした研究であり、長期的な持続可能性を実証するものではない。
2025年の『Number Web』の取材は、外国籍選手が在留資格「興行」で来日し、競技の対価として球団から給与を受ける一方、空き時間にアルバイトで収入を補えないと報じた。家族へ仕送りする選手もいる。
同じ取材で山下翔一ゼネラルマネジャー(GM)は、地域貢献活動は全てボランティアだと説明している。これは直ちに問題があるという意味ではない。球団が生活基盤を用意し、選手が地域へ力を返す関係には、一定の相互性がある。
選手の成長過程が球団の価値になるなら、その価値を支える人へ何が返るのかも問われる。農作業や地域活動が選手契約にどう位置付けられ、参加をどこまで選べるのか。活動時間、安全管理、販売収益の還元、通訳や生活支援を誰が担うのかは、公開情報から確認できない。人が関係をつくるモデルは、その人の善意や我慢に負担を寄せる危険も持つ。だからこそ、関係形成を支える仕事を可視化し、役割、対価、支援、責任を制度にしなければならない。
人が去った後に、何が残るか
2026年の最終節告知で球団は、最終戦後にチームはいったん解散し、海外選手は帰国すると記した。球団そのものを廃止するという意味ではない。だが、毎年、人が集まり、暮らし、別れる季節性は、このモデルの強みと弱さを同時に示す。
選手が帰国しても、農家との手順、学校との交流、通訳と生活支援、代表チームとの連絡、収益の分け方、退団選手とのネットワークが次の人へ引き継がれるか。個人の経験を記録し、組織と地域の仕組みに変えられるか。そこで初めて、関係は一度きりの交流ではなく、使い直せる資本になる。
Fビレッジは、場が人を呼び戻す反復性を持つ。その課題は、増えた価値と負担を誰に分けるかだった。佐賀は、人が境界を越えて関係を広げる。その課題は、関係の担い手を守り、人が去った後も回路を残すことである。規模は違っても、どちらも接点を制度と継承へ変えられるかを問われている。
人が地域をつなぐことと、その人に関係の負担を背負わせることは同じではない。佐賀アジアドリームズは、地域とアジアを結ぶ可能性を示すと同時に、その関係を誰の善意にも依存し過ぎない仕組みにできるかを問いかけている。次回は、MLB、Fビレッジ、佐賀の三事例を同じ比較軸へ戻し、球団が地域の何になるのかを考える。
