#21 「責任の境界線」第6回 制度は、未来をどう織り込めるのか

このノートの考え方については、こちらにまとめています。
ーなぜ私は「社会設計ノート」を書いているのかー
責任の境界線 ― 環境問題から始める社会設計
第6回 制度は、未来をどう織り込めるのか
第5回で、私は「未来は、誰の責任として残るのか」と問うた。
家庭。
自治体。
企業。
国。
それぞれが責任を負っているように見えながら、
未来は少しずつ現在の外側へ押し出されているのではないか。
そんな違和感が残った。
だとすれば、
次に考えたくなるのは、
その未来をどう現在の判断に戻すのか、ということだ。
そして、ここで避けて通れないのが
制度という問題である。
いまの制度は、どの時間を見ているのか
制度は、社会を動かすために必要だ。
分別ルール。
回収日。
処理施設。
予算。
会計期間。
行政計画。
どれも、社会を混乱させないためには欠かせない。
しかし制度は、
そのつど見える範囲を定めてもいる。
いつまでを扱うのか。
どこまでを対象にするのか。
誰が引き受けるのか。
そうして引かれた線の中で、
判断は整えられる。
その意味で、制度は
責任を明確にする仕組みであると同時に、
責任の境界を固定する仕組みでもある。
日本の制度は「出たごみ」を見てきた
ここまで連載を書きながら、
私は少しずつ気づかされている。
日本のごみ問題への向き合い方は、
全体として
「出たごみをどう処理するか」
に重心があるのではないか。
分別する。
集める。
焼却する。
埋め立てる。
再資源化する。
もちろん、それは必要なことだ。
現実に出てしまったごみを処理しなければ、
社会は成り立たない。
ただ、その発想の中では、
問題はどうしても
「出たあと」に立ち上がる。
すると制度もまた、
出たあとの処理を整える方向に強くなる。
「ごみが出る仕組み」を変えるという発想
一方で、世界の一部の地域や自治体では、
少し別の方向を向いているようにも見える。
出たごみをどう処理するかではなく、
ごみが出る仕組みそのものを変えようとする発想 である。
価格のつけ方。
回収の仕方。
修理のしやすさ。
再利用のしやすさ。
企業側の責任の持たせ方。
市民が関わる入口の設計。
そこでは、
処理よりも前の段階に制度が入り込もうとしている。
つまり制度は、
「最後を整えるもの」ではなく、
「最初の選択を変えるもの」
にもなりうるのかもしれない。
主体と主体のあいだに、制度は橋をかけられるのか
第4回で、私は
主体と主体のあいだに空白が生まれるのではないかと書いた。
その感覚は、制度を考えるときにも残る。
家庭と自治体のあいだ。
企業と消費者のあいだ。
自治体と事業者のあいだ。
そこに新しい結節点が生まれるとき、
風景は少し変わる。
たとえば、
店頭に回収ボックスが置かれる。
捨てるはずだったものが、
別の流れに接続される。
その瞬間、
家庭と自治体の二者だけではなかった経路が見えてくる。
こうした仕組みは、
単なる利便性の改善ではなく、
主体と主体のあいだに
新しい橋をかける試みとして読むこともできる。
だが、その橋は
本当に未来まで届いているのだろうか。
制度は、現在の都合に強く引っぱられる
ここで、制度を楽観的に見すぎるわけにはいかないとも思う。
制度はつねに、
現在の条件に引っぱられる。
予算の制約。
技術の限界。
既存インフラ。
住民負担への配慮。
企業活動への影響。
政治的な判断。
それらを無視して制度はつくれない。
だから制度は、
未来を織り込みたいと思いながらも、
いまの現実に押し戻される。
このこと自体は、
責めるべきことではないのだろう。
しかしそのたびに、
見えにくい未来は後景に退く。
その繰り返しの中で、
未来は理念としては語られても、
制度の中心には入りきらない。
制度が織り込むべきものは何か
では、制度は何を織り込むべきなのだろうか。
未来そのもの、
と簡単に言うことはできる。
だが、未来はまだ来ていない。
数字として確定しているわけでもない。
その意味で、制度にとっては扱いにくい。
それでも、
いまの制度が未来を十分に含んでいないとしたら、
少なくとも問い直すべきことはある。
制度は、
いま目の前に出たごみだけを扱うものなのか。
それとも、
ごみが出る前の選択や、
その先に残る時間まで、
少しずつ現在の判断に引き戻すものなのか。
この違いは、
かなり大きい気がしている。
まだ、答えは出ていない
ここまで考えてきても、
私はまだ、制度をどう定義し直せばいいのかを
はっきりとは言えない。
制度は必要だ。
だが、それだけでは足りない。
未来を含みたい。
だが、現在の現実から自由でもいられない。
そのあいだで、
制度はいつも揺れているのだと思う。
ただ、ひとつだけ確かなのは、
制度は単に
「出たものを処理するための仕組み」
としてだけ見るべきではない、ということだ。
制度がもし、
主体と主体のあいだに橋をかけ、
未来を少しずつ現在の判断に戻す役割を持ちうるのだとしたら、
私たちはまだ
制度について十分に考え切れていないのかもしれない。
いまはまだ、
その問いを閉じずに置いておきたい。
制度は、未来をどう織り込めるのか。
そして、
未来を織り込めない制度の中で、
私たちは何を責任として残してしまっているのだろうか。
