#22 「不正会計と企業統治」第6回 名経営者とは何か

このノートの考え方については、こちらにまとめています。
なぜ私は「社会設計ノート」を書いているのか

不正会計と企業統治 ― 成長の論理と統治の論理は、なぜ衝突するのか

第6回 名経営者とは何か

企業が成長すると、経営者は称賛されます。

売上高を伸ばす。
利益を増やす。
株価を上げる。
新しい市場を切り開く。
組織を強く引っ張る。

そうした成果を出した経営者は、「名経営者」と呼ばれることがあります。

もちろん、企業を成長させる力は重要です。
停滞していた組織を動かし、困難な局面を乗り越え、未来への道筋を示す。
それは簡単なことではありません。

しかし、不正会計や企業不祥事を考えていると、私はどうしても一つの問いに立ち止まります。

私たちは、何をもって経営者を「名経営者」と呼んできたのでしょうか。

結果は分かりやすい

経営者の評価において、結果は分かりやすいものです。

売上高。
営業利益。
利益率。
時価総額。
海外展開。
新規事業。
株価。

これらは数字で示すことができます。
比較もできます。
記事にもなりやすい。

だから、経営者の評価はどうしても結果に引っ張られます。

「この人が会社を大きくした」
「この人が成長を実現した」
「この人が業界を変えた」

そうした物語は、強い力を持ちます。

けれども、結果だけでは見えないものがあります。

その成長は、どのような判断の積み重ねによって生まれたのか。
どのような無理を組織に引き受けさせたのか。
どのような異論を受け止め、どのような迷いを残したのか。

そこまで見なければ、経営者を本当に評価したことにはならないのではないか。

第5回で市場の評価について考えながら、私はこの問いに戻ってきました。

強い経営者の光と影

強い経営者は、組織を動かします。

迷っている組織に方向を示す。
停滞している現場に緊張感を与える。
曖昧だった意思決定を前に進める。

その力がなければ、企業は変わらないことがあります。

だから、強いリーダーシップそのものを否定するつもりはありません。

しかし、強さには影もあります。

強い言葉は、人を動かす一方で、人を黙らせることがあります。
明確な目標は、組織を前進させる一方で、立ち止まる余地を狭めることがあります。
経営者への高い評価は、周囲の違和感を言いにくくすることがあります。

「この人が言うなら」
「この方針に逆らうべきではない」
「ここで弱音を出してはいけない」

こうした空気が生まれたとき、組織の判断は少しずつ傾いていきます。

問題は、強い経営者がいることではありません。
その強さに対して、組織が問いを返せなくなることです。

名経営者という物語

名経営者という言葉には、物語があります。

苦境から会社を救った人。
誰もできなかった改革を成し遂げた人。
大胆な判断で成長を実現した人。
厳しさによって組織を鍛え上げた人。

そうした物語は、人を惹きつけます。

市場も、メディアも、社内も、その物語を共有します。
すると経営者は、単なる一人の経営者ではなく、会社の象徴になっていきます。

象徴になること自体が悪いわけではありません。
企業には、方向を示す存在が必要です。

ただ、象徴が強くなりすぎると、企業はその人を通じてしか自分を語れなくなります。

この会社は、何を大切にしているのか。
どのような判断基準で動いているのか。
何をしてはいけないと考えているのか。

そうした問いが、経営者個人の言葉や成果に吸収されてしまう。

そのとき、企業統治は難しくなります。

なぜなら、統治すべき対象が制度や組織だけでなく、
組織全体が共有している「物語」そのものになっているからです。

成長の論理と統治の論理

企業を成長させる論理と、企業を統治する論理は、必ずしも同じではありません。

成長の論理は、前へ進む力を求めます。

もっと伸ばす。
もっと速く進める。
もっと高い目標を達成する。

一方、統治の論理は、立ち止まる力を求めます。

本当にこの前提でよいのか。
この数字は無理を含んでいないか。
現場に過度な負担がかかっていないか。
異論や迷いは残されているか。

成長の論理は、勢いを生みます。
統治の論理は、抑制を求めます。

この二つは、どちらか一方だけでよいものではありません。
企業には成長が必要です。
同時に、健全さを保つための抑制も必要です。

問題は、成長の論理があまりに強くなり、統治の論理が後ろへ追いやられるときです。

「いま止めるわけにはいかない」
「ここで弱く見せるわけにはいかない」
「この目標だけは達成しなければならない」

そうした言葉が積み重なると、立ち止まること自体が悪いことのように見えてしまいます。

しかし、企業を守るために本当に必要なのは、前に進む力だけではありません。

止まる力。
問い直す力。
違和感を受け取る力。

それもまた、経営の力なのだと思います。

厳しさは、何を守るためにあるのか

名経営者と呼ばれる人の多くは、厳しさを持っています。

数字に厳しい。
現場に厳しい。
妥協を許さない。
結果を求める。

その厳しさが、組織を鍛えることはあります。

ただし、ここでも問いが必要です。

その厳しさは、何を守るためにあるのか。

顧客を守るためなのか。
社員を育てるためなのか。
社会への責任を果たすためなのか。
それとも、数字と評価を守るためなのか。

同じ厳しさでも、向かう先によって意味は変わります。

人を成長させる厳しさもあれば、
人を黙らせる厳しさもあります。

組織を健全にする厳しさもあれば、
組織に無理を飲み込ませる厳しさもあります。

経営者の厳しさを評価するとき、私たちはその成果だけではなく、その厳しさが何を守っていたのかを見なければならないのではないでしょうか。

誰が問いを返せるのか

強い経営者がいる組織で大切なのは、
その経営者に問いを返せる人がいるかどうかです。

社外取締役。
監査役。
幹部社員。
現場。
取引先。
投資家。

立場はさまざまです。

しかし本当に重要なのは、肩書きではありません。

違和感を言えるか。
迷いを共有できるか。
前提を問い直せるか。
経営者の言葉に対して、沈黙ではなく問いを返せるか。

企業統治は、制度としては存在していても、問いを返す力がなければ機能しません。

逆に言えば、名経営者と呼ばれる人ほど、問いを受け止める構造を自ら必要とするはずです。

自分の判断が常に正しいとは限らない。
組織が自分に忖度することがある。
市場やメディアの評価が、自分自身を過大に見せることがある。

そうした危うさを理解しているかどうか。

そこに、経営者としての成熟が表れるのだと思います。

名経営者とは何か

名経営者とは、結果を出した人のことでしょうか。

もちろん、それは一つの条件です。
結果を出さずに経営を語ることはできません。

しかし、それだけでは足りない。

本当に問われるべきなのは、
その結果をどのように生み出したのか。
その過程で、何を守ったのか。
何を見落とさなかったのか。
誰の声を聞き、どこで立ち止まれたのか。

そして、企業が自分一人の物語に飲み込まれないよう、
判断を組織に残すことができたのか。

名経営者とは、会社を大きくした人だけではない。

会社が自分なしでも健全に判断できるように、
問いを残し、制度を残し、関係を残せる人のことではないでしょうか。

成長を実現する力。
しかし、成長のために統治を犠牲にしない力。

その両方を持つことが、本来の経営者の強さなのだと思います。

次回は、企業は誰のものなのかという視点から、株主、社員、取引先、社会との関係の中で、企業の責任をどのように捉えるべきかを考えてみたいと思います。

評論としてではなく、私自身の迷いと判断の履歴として、ここに残していこうと思います。

#00 なぜ、この記録を始めるのか

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