#30 「不正会計と企業統治」第10回 失われた信頼は、取り戻せるのか

このノートの考え方については、こちらにまとめています。
ーなぜ私は「社会設計ノート」を書いているのかー
不正会計と企業統治 ―成長の論理と統治の論理は、なぜ衝突するのか
第10回 失われた信頼は、取り戻せるのか
企業が不祥事を起こしたとき、よく使われる言葉があります。
「信頼回復に努めます」
記者会見でも、再発防止策でも、経営者のコメントでも目にする言葉です。
もちろん、失われた信頼を取り戻そうとすることは大切です。
けれども、そもそも信頼とは、企業が「回復します」と宣言すれば戻ってくるものなのでしょうか。
前回、説明責任について考えました。
何が起きたのかを示すだけではなく、なぜその判断に至ったのかを説明する。
相手の問いを受け止める。
新しい事実が分かれば、説明を改める。
そうした姿勢が必要だと書きました。
しかし、それでも信頼が戻るとは限りません。
説明するのは企業です。
信頼するかどうかを決めるのは、相手だからです。
信頼は、自分では決められない
企業は、自らの行動を変えることはできます。
制度を見直す。
経営体制を変える。
再発防止策を実行する。
情報を公開する。
社員教育を行う。
しかし、
「もう信頼してください」
と相手に求めることはできません。
信頼は、企業が所有しているものではないからです。
顧客がどう受け止めるのか。
社員がどう感じるのか。
取引先が再び安心して付き合えると思うのか。
株主や社会が、その企業の変化をどう見るのか。
その判断は、それぞれの側にあります。
企業ができるのは、信頼を取り戻すことではなく、
もう一度信頼してもよいと思ってもらえる行動を積み重ねること
だけなのかもしれません。
謝罪は、出発点にすぎない
不祥事が起きると、謝罪の言葉に注目が集まります。
謝罪の仕方が適切だったか。
経営者は十分に反省していたか。
説明は分かりやすかったか。
それらも大切です。
しかし、どれほど丁寧な謝罪であっても、それだけで関係が元に戻るわけではありません。
むしろ、本当に見られるのはその後です。
問題が収束したあとも、情報を出し続けているか。
再発防止策は実行されているか。
不都合な事実が新たに分かったとき、それも公表しているか。
以前と同じような兆候が現れたとき、今度は立ち止まれるか。
謝罪は、一つの行為です。
信頼は、その後に続く行動の積み重ねです。
信頼を失った理由は、不正だけなのか
不正会計によって失われるのは、数字への信頼だけではありません。
「この会社は、都合の悪いことを隠すのではないか」
「経営者に異論を言える人はいないのではないか」
「また同じことが起きるのではないか」
こうした疑問が生まれます。
つまり、人々が疑っているのは、過去の一つの行為だけではありません。
その企業の判断の仕方そのものです。
だから、数字を訂正するだけでは信頼は戻りません。
制度をつくるだけでも足りません。
「この会社は、以前とは違う判断をするようになった」
そう感じてもらえるまでには、時間がかかります。
そして、その変化は言葉ではなく、日々の判断に表れます。
変わったことを、どう伝えるのか
企業が本当に変わったとしても、そのことが外から見えなければ、相手には分かりません。
ここに難しさがあります。
「私たちは変わりました」
と繰り返せば、かえって自己弁護に見えることもあります。
必要なのは、変わったと主張することではなく、変化した判断や行動を示していくことではないでしょうか。
以前なら公表しなかったことを、公表する。
以前なら経営だけで決めていたことに、現場の意見を入れる。
以前なら問題が大きくなってから動いていたところを、小さな違和感の段階で対応する。
以前なら一度説明して終えていたことを、その後の進捗まで伝える。
そうした一つ一つの行動が、
「この企業は少し変わったのかもしれない」
という受け止めにつながっていきます。
信頼は、大きな宣言によって戻るのではありません。
小さな判断の積み重ねによって、少しずつ再び生まれていくものなのだと思います。
時間を引き受ける
信頼を失った企業にとって、最も難しいのは時間を引き受けることかもしれません。
企業側からすれば、一日も早く問題を収束させたい。
通常の経営に戻りたい。
過去の出来事として扱ってほしい。
そう考えるのは自然なことです。
しかし、企業にとって問題が「終わった」と感じる時点と、影響を受けた人が「終わった」と感じる時点は同じではありません。
企業は再発防止策を発表した。
けれども、社員にはまだ不安が残っている。
決算は訂正された。
けれども、株主はまだ経営を疑っている。
商品には問題がなかった。
けれども、顧客は企業の姿勢を見ている。
取引は正常化した。
けれども、取引先には以前の負担が記憶として残っている。
企業だけが先に「終わったこと」にしてしまえば、その距離はむしろ広がります。
信頼を取り戻そうとするなら、相手の時間を引き受けなければならない。
それは、とても地道な営みです。
忘れてもらうことと、信頼されることは違う
時間がたてば、不祥事への社会の関心は薄れていきます。
報道も減ります。
検索される回数も減ります。
新しい出来事が起きれば、過去の問題は次第に話題にならなくなります。
企業にとっては、それを「信頼が戻った」と捉えたくなるかもしれません。
しかし、
忘れられることと、信頼されることは違います。
問題が話題にならなくなったことと、その企業への信頼が深まったことは同じではありません。
むしろ重要なのは、人々の関心が薄れたあとに企業が何を続けるかです。
注目されているときだけ情報を出すのか。
それとも、誰も見ていないときにも、同じ姿勢で判断し続けるのか。
信頼は、危機の瞬間だけにつくられるものではありません。
平時の行動によって支えられています。
信頼とは、未来への期待なのかもしれない
私たちは、企業を信頼するとき、その企業の過去だけを見ているわけではありません。
この企業なら、何かあっても説明してくれるだろう。
間違えたら、修正するだろう。
都合の悪いことも隠さないだろう。
自分たちだけでなく、影響を受ける人のことも考えるだろう。
つまり信頼とは、
これからも、この企業は一定の姿勢で行動するだろうという未来への期待
なのかもしれません。
そう考えると、不祥事によって失われるものも見えてきます。
過去の数字への信用だけではありません。
「この企業なら大丈夫だろう」という未来への期待が失われるのです。
だから、その期待を再び生み出すには時間がかかります。
一度の謝罪でも、一枚の再発防止策でも足りません。
企業がどのように判断し、どのように説明し、どのように相手の問いに応じるのか。
その姿勢を、時間をかけて示し続ける必要があります。
信頼回復ではなく、信頼の再構築
そう考えると、「信頼回復」という言葉も少し違って見えてきます。
回復という言葉には、失われたものを元の状態へ戻すという響きがあります。
しかし、不祥事が起きる前とまったく同じ関係に戻ることはできません。
起きた出来事を消すことはできないからです。
むしろ必要なのは、その出来事を含んだうえで、新しい関係をつくり直すことではないでしょうか。
何が起きたのかを忘れない。
なぜ起きたのかを問い続ける。
そこで得た学びを、次の判断に生かす。
そして、その変化を行動として積み重ねる。
信頼は、過去に戻ることではなく、過去を引き受けたうえで未来をつくることによって生まれる。
私は、そう考えるようになりました。
企業統治の目的も、不祥事を一度も起こさない企業をつくることだけではないはずです。
間違いが起きたとき、それを認め、説明し、学び、判断を変え、関係をつくり直すことができる。
その力まで含めて、企業の健全さを考える必要があります。
では、そのためにつくられる「再発防止策」は、本当に企業を変えるのでしょうか。
次回は、再発防止策はなぜ機能しないのかについて考えてみたいと思います。
評論としてではなく、私自身の迷いと判断の過程として、ここに残していこうと思います。
