#28 「不正会計と企業統治」第9回 説明責任とは、何を説明することなのか

このノートの考え方については、こちらにまとめています。
ーなぜ私は「社会設計ノート」を書いているのかー
不正会計と企業統治 ―成長の論理と統治の論理は、なぜ衝突するのか
第9回 説明責任とは、何を説明することなのか
企業の不祥事が起きると、「説明責任を果たすべきだ」という言葉が使われます。
経営者が記者会見を開く。
調査報告書を公表する。
数字を訂正する。
再発防止策を示す。
こうした対応は、もちろん必要です。
しかし、資料を公表し、会見を開けば、説明責任を果たしたことになるのでしょうか。
そもそも、説明責任とは、何を説明することなのでしょうか。
事実を示すだけでは足りない
不正会計が明らかになったとき、企業はまず事実を整理します。
どの期間に、どのような処理が行われたのか。
決算にどれほどの影響があったのか。
誰が関与していたのか。
法令や社内規程に反する行為があったのか。
事実を正確に示すことは、説明の出発点です。
しかし、事実の一覧だけでは、説明し切れないものがあります。
なぜ、その処理が始まったのか。
なぜ、途中で止められなかったのか。
なぜ、異論が経営に届かなかったのか。
なぜ、問題を知りながら公表しなかったのか。
人々が知りたいのは、起きた出来事だけではありません。
その出来事を生み出した、企業の判断です。
結果ではなく、判断を説明する
前回、企業の判断は、意外なほど残っていないと書きました。
何を迷っていたのか。
どのような選択肢があったのか。
何を優先し、何を後回しにしたのか。
その過程が残っていなければ、企業は自らの判断を説明できません。
説明できるのは、結果だけです。
「この処理が不適切でした」
「決算を訂正しました」
「関係者を処分しました」
それだけでは、なぜ組織がその判断を受け入れたのかが見えてきません。
不正会計を繰り返さないために必要なのは、処理の方法を正すことだけではないはずです。
どのような判断が積み重なり、組織が戻れなくなったのか。
そこまで説明して初めて、再発防止の出発点に立てるのではないでしょうか。
説明が、自分たちを守るための言葉になる
企業の説明は、ときに自分たちを守るためのものになります。
法的な責任はない。
業績への影響は限定的である。
個人の判断によるものである。
社内規程に基づいて対応した。
こうした説明が誤っているとは限りません。
けれども、それだけが繰り返されると、説明を受ける側には別の疑問が残ります。
この企業は、何を問題だと受け止めているのだろうか。
企業が守ろうとしているのは、法的な立場なのか。
市場からの評価なのか。
経営者の責任なのか。
それとも、影響を受けた人との関係なのか。
説明が自己防衛だけに向かうと、言葉は増えても、相手との距離は縮まりません。
説明したことと、説明が伝わったことは、同じではないのです。
誰に説明するのか
説明責任を考えるとき、もう一つ重要なのは、誰に説明するのかという問いです。
株主に対する説明。
社員に対する説明。
顧客に対する説明。
取引先に対する説明。
地域や社会に対する説明。
同じ出来事であっても、それぞれが知りたいことは異なります。
株主は、企業価値への影響を知りたいかもしれません。
社員は、自分たちの仕事や組織の将来を知りたいかもしれません。
顧客は、商品やサービスを信頼し続けてよいのかを確かめたいでしょう。
取引先は、自分たちへの負担や契約への影響を気にするでしょう。
一つの資料を公表しただけで、すべての人への説明が終わるわけではありません。
説明責任とは、同じ情報を一斉に届けることだけではなく、相手が何を問うているのかを受け止めることでもあるはずです。
説明できないこともある
もちろん、企業がすべてを公表できるわけではありません。
個人情報があります。
捜査や訴訟への影響もあります。
取引先との秘密保持もあります。
確認できていない段階で、断定できないこともあります。
説明できないことがあるのは当然です。
しかし、説明できないことと、説明しなくてよいことは違います。
現時点では何が分かっているのか。
何がまだ分かっていないのか。
なぜ、いまは公表できないのか。
いつ、どのようにあらためて説明するのか。
その境界を示すことも、説明の一部ではないでしょうか。
沈黙だけが続けば、人々は企業が何かを隠していると感じます。
けれども、分からないことを分からないと伝え、次の説明までの道筋を示すことができれば、少なくとも企業が問いから逃げていないことは伝わります。
説明責任は、一度では終わらない
説明責任は、記者会見を一度開けば終わるものではありません。
調査が進めば、新しい事実が分かります。
再発防止策を実行すれば、その結果も見えてきます。
当初は正しいと考えた対応が、後から不十分だったと分かることもあります。
そのたびに、企業は説明を更新する必要があります。
以前の説明と何が変わったのか。
なぜ変わったのか。
何を見落としていたのか。
こうした説明の積み重ねによって、企業が本当に問題から学んでいるのかが見えてきます。
説明責任とは、完成した答えを一度だけ示すことではありません。
問いを受け止め、考え直し、その過程を伝え続けることなのだと思います。
問いに応じるという責任
責任という言葉には、重い響きがあります。
責任者を決める。
責任を追及する。
責任を取って辞任する。
もちろん、それも責任の一つです。
しかし、責任は処分だけで果たされるものではありません。
自分たちの判断が、誰にどのような影響を与えたのか。
相手は何を知りたいと考えているのか。
その問いに、企業はどう応じるのか。
説明責任の根底には、相手の問いに応じる姿勢があります。
正しい答えを一方的に示すのではなく、問いを受け止め、必要であれば説明を重ね、判断そのものを問い直す。
その姿勢がなければ、どれだけ多くの情報を公表しても、説明責任を果たしたことにはならないのではないでしょうか。
企業統治とは、正しい判断を促す仕組みです。
同時に、その判断を社会に対して説明できる状態をつくる仕組みでもあります。
判断を残す。
理由を伝える。
問いに応じる。
誤りがあれば説明を改める。
その繰り返しの中で、企業の責任は初めて目に見えるものになります。
そして、その姿勢を社会がどう受け止めるのか。
次回は、失われた信頼はどのように取り戻されるのかについて考えてみたいと思います。
評論としてではなく、私自身の迷いと判断の過程として、ここに残していこうと思います。
