#34 「不正会計と企業統治」 第12回 成長の論理と統治の論理は、両立できるのか

このノートの考え方については、こちらにまとめています。
ーなぜ私は「社会設計ノート」を書いているのかー
不正会計と企業統治 ―成長の論理と統治の論理は、なぜ衝突するのか
第12回 成長の論理と統治の論理は、両立できるのか
企業には、成長が求められます。
売り上げを伸ばす。
利益を生み出す。
新しい市場を開く。
雇用を増やす。
新しい商品やサービスを生み出す。
企業が社会の中で役割を果たし続けるためには、一定の成長が必要です。
一方で、企業には統治も求められます。
立ち止まる。
問い直す。
異論を聞く。
説明する。
守るべき線を守る。
この二つは、ときに反対方向の力のように見えます。
成長は「前へ進め」と言う。
統治は「本当に進んでよいのか」と問いかける。
だから、両者は衝突するのでしょうか。
この連載では、12回にわたって、その問いを考えてきました。
成長そのものが問題なのではない
不正会計の背景をたどると、業績への強い圧力が見えてくることがあります。
目標を達成しなければならない。
市場の期待に応えなければならない。
株価を下げてはならない。
前期より成長しなければならない。
こうした期待が積み重なると、いつしか「成長すること」が目的そのものになっていきます。
しかし、成長すること自体が悪いわけではありません。
問題は、成長がほかのすべての判断より優先されるようになったときです。
数字を守るために事実を見ない。
目標を守るために現場の声を聞かない。
市場の評価を守るために公表を遅らせる。
経営者の成功物語を守るために異論を遠ざける。
その瞬間、成長は企業を前へ進める力ではなく、企業の判断を狭くする力に変わります。
統治は、成長を止めるためにあるのか
企業統治という言葉には、どこか「抑える」「監視する」という印象があります。
経営者の暴走を止める。
不正を防ぐ。
規則を守らせる。
もちろん、そうした役割はあります。
しかし、この連載を通して考えてきたのは、それだけではありません。
統治とは、企業の判断を止めるためのものではなく、
よりよい判断をするための仕組み
なのではないか。
私は、そう考えるようになりました。
進むべきときには進む。
しかし、立ち止まるべきときには立ち止まる。
異論があれば聞く。
判断の理由を残す。
影響を受ける人を見失わない。
誤ったときには説明し、判断を改める。
そうした力があるからこそ、企業は長く前へ進むことができます。
速く進むことと、長く進むことは違う
企業経営では、スピードが評価されます。
早く決める。
早く動く。
競争相手より先に市場を取る。
その力は確かに重要です。
しかし、速く進むことと、長く進み続けることは同じではありません。
短期間で大きく成長しても、その過程で社員が疲弊し、取引先に無理を求め、顧客の信頼を失えば、その成長を続けることはできません。
一方で、慎重であればよいということでもありません。
何も決めず、何も挑戦せず、失敗を恐れて動かなければ、企業は社会から必要とされなくなるかもしれません。
必要なのは、前へ進む力と、問い直す力の両方です。
アクセルとブレーキというよりも、進む方向を確かめながら走り続ける力と言った方が近いのかもしれません。
経営者が問われるのは、結果だけではない
第6回では、「名経営者とは何か」を考えました。
大きな成果を残した人。
企業を急成長させた人。
大胆な決断をした人。
そうした経営者は評価されます。
しかし、本当に問われるべきなのは、その人がいなくなったあとではないでしょうか。
異論を言える組織が残っているか。
判断を問い直せる仕組みが残っているか。
特定の人物の力に頼らず、組織として考えられるか。
そして、次の世代が同じような局面に立ったとき、よりよい判断ができるか。
経営者の仕事は、自分が正しい判断をすることだけではない。
自分がいなくなったあとも、組織が判断し続けられる状態をつくることでもあるはずです。
企業は、関係の中で成長する
第7回では、「企業は誰のものなのか」と問いかけました。
企業は株主だけで成り立っているわけではありません。
社員がいる。
顧客がいる。
取引先がいる。
地域がある。
さまざまな人との関係の中で、企業は活動しています。
だから、企業の成長もまた、企業だけのものではありません。
誰かの協力があり、
誰かの期待があり、
誰かの信頼があり、
その積み重ねの上に成長があります。
もし、その関係を壊しながら数字だけが伸びているのであれば、それを本当に成長と呼んでよいのでしょうか。
企業の大きさが増すことと、企業が社会の中でよりよい存在になることは、必ずしも同じではありません。
だからこそ、成長とは何かという問いも、統治の一部なのだと思います。
判断を残し、問いに応じる
第8回以降、この連載では判断を残すこと、説明すること、信頼をつくり直すことについて考えてきました。
なぜ、その判断をしたのか。
何を迷ったのか。
何を優先したのか。
誰に影響が及ぶのか。
そして、その判断に対して投げかけられた問いにどう応じるのか。
企業の健全さは、間違えないことだけでは測れません。
間違えたときに、自らの判断を振り返ることができるか。
説明できるか。
修正できるか。
次の判断に生かすことができるか。
その力もまた、企業統治の一部です。
不正をゼロにする制度をつくることは難しい。
しかし、不正につながる小さな違和感を見つけ、立ち止まり、問い直すことのできる組織をつくることはできます。
成長と統治は、本当に対立するのか
ここまで考えてくると、最初の問いへの見え方が少し変わってきます。
成長の論理と統治の論理は、確かに衝突することがあります。
成長を急げば、立ち止まることが邪魔に見える。
市場の期待に応えようとすれば、不都合な情報を出すことをためらう。
強い経営者が前へ進もうとすれば、異論は足かせに感じられる。
しかし、その衝突そのものが問題なのではありません。
むしろ問題なのは、
衝突が見えなくなること
なのではないでしょうか。
成長を優先すれば、誰かに負担が生じるかもしれない。
利益を守れば、別の価値を失うかもしれない。
速く進めば、聞こえなくなる声があるかもしれない。
そうした緊張を消してしまうのではなく、見える状態にしておく。
そして、その都度、何を選ぶのかを考える。
そこに統治の役割があります。
統治は、成長の反対側にあるのではない
成長と統治を二者択一にしてしまえば、
成長する企業ほど統治が弱くなる。
統治を重視する企業ほど成長できない。
そんな構図になってしまいます。
しかし、本来はそうではないはずです。
統治するからこそ、無理な成長に気付ける。
異論を聞くからこそ、見落としていた機会にも気付ける。
判断を残すからこそ、過去から学べる。
説明するからこそ、関係を続けられる。
信頼があるからこそ、新しい挑戦を支えてもらえる。
そう考えると、統治は成長を妨げるものではありません。
成長を続けるための条件でもある。
私は、この連載を通して、そこにたどり着きました。
何のために成長するのか
そして最後に、もう一つ問いが残ります。
企業は、何のために成長するのでしょうか。
成長するために成長するのか。
数字を大きくするためなのか。
競争に勝つためなのか。
それとも、より多くの人に価値を届け、よりよい関係をつくり、社会の中で役割を果たし続けるためなのか。
その答えによって、企業の判断は変わります。
成長は目的ではなく、何かを実現するための手段なのかもしれません。
そして統治とは、その目的を見失わないために、問い続けることなのかもしれません。
成長する。
立ち止まる。
問い直す。
また進む。
企業は、その繰り返しの中でつくられていきます。
制度があるだけでは、不正はなくなりません。
優れた経営者がいるだけでも足りません。
必要なのは、誰か一人の正しさに頼ることではなく、組織が自ら問い、判断し、説明し、修正できる状態をつくり続けることです。
成長の論理と統治の論理。
二つは、どちらか一方を選ぶものではない。
その間に生まれる緊張を引き受けながら、よりよい判断を重ね続ける。
それが、企業を長く社会の中に存在させる力になるのではないでしょうか。
「不正会計と企業統治」は、今回で最終回です。
12回にわたり、不正会計という出来事を入り口に、企業はどう判断し、誰に責任を負い、どう社会との関係をつくるのかを考えてきました。
答えを出すことよりも、問いを持ち続けること。
企業統治を考えるうえで、それ自体が大切な営みなのだと思います。
評論としてではなく、私自身の迷いと判断の過程として、ここに残しておきたいと思います。
