#26 「不正会計と企業統治」第8回 判断は、なぜ残らないのか

このノートの考え方については、こちらにまとめています。
なぜ私は「社会設計ノート」を書いているのか

不正会計と企業統治 ―成長の論理と統治の論理は、なぜ衝突するのか

第8回 判断は、なぜ残らないのか

名企業の不祥事が起きるたび、私たちは報告書を読みます。

第三者委員会の調査報告書。
再発防止策。
記者会見。
改善計画。

そこには、何が起きたのかが丁寧にまとめられています。

しかし、読み進めるうちに、いつも一つの疑問が残ります。

なぜ、その判断に至ったのか。

その過程は、意外なほど見えてきません。
もちろん、当時の会議資料やメール、議事録などから経緯は推測できます。

けれども、本当に知りたいのは事実の並びではありません。

そのとき、何を迷っていたのか。
どんな選択肢があったのか。
何を優先し、何を後回しにしたのか。
誰が異論を唱え、誰が沈黙したのか。

そうした「判断の過程」は、あとから振り返ろうとしても、驚くほど残っていないのです。


企業は、日々たくさんの判断をしています。

新しい事業を始める。
設備投資をする。
価格を改定する。
人事を決める。
謝罪する。
あるいは、公表を見送る。

一つ一つは、その時点では最善だと考えた判断だったのでしょう。
しかし、時間がたつと、その判断だけが切り取られます。
「なぜそう決めたのか」は、少しずつ失われていきます。


不正会計も同じです。

決算の数字だけが突然変わるわけではありません。
最初は、小さな迷いだったのかもしれません。

「今期だけ調整しよう」。
「来期には戻せる」。
「大きな問題にはならない」。

その一つ一つは、小さな判断です。

ところが、その判断が積み重なるうちに、企業は元に戻れなくなります。
あとから見ると、不正は突然始まったように見えます。
しかし実際には、多くの判断が積み重なった結果なのです。


企業統治というと、監査や取締役会などの仕組みに目が向きます。

もちろん、それらは重要です。
けれども、制度だけでは見えないものがあります。

それは、「判断の理由」です。
同じ結論であっても、理由が違えば意味は変わります。

たとえば、新しい設備投資を見送る判断があったとします。

資金繰りを考えた結果なのか。
市場環境を見極めた結果なのか。
あるいは、短期的な利益を優先した結果なのか。

結論だけでは、その違いは分かりません。

だからこそ、企業統治は結果だけでなく、判断の過程にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。


もちろん、すべての判断を細かく記録することは現実的ではありません。
日々の業務は膨大です。
経営にはスピードも求められます。

しかし、企業の方向を左右する重要な判断まで、「そのときそう思ったから」で終わってしまうと、後から学ぶことができません。

同じ失敗を繰り返す可能性も高くなります。


私たちは、結果から学ぼうとします。
成功事例を分析し、失敗事例を研究します。
それは大切なことです。

しかし、本当に学ぶべきなのは、結果そのものではありません。

判断の過程です。

どのような情報があり、
どんな迷いがあり、
誰の意見が採用され、
何が見落とされたのか。

そこまで見えて初めて、「次はどう判断するか」を考えられるようになります。


企業は未来を予測することはできません。
だからこそ、判断を誤ることもあります。
誤ること自体は避けられません。

大切なのは、その判断を後から振り返り、学びに変えられるかどうかです。
そのためには、結果だけでは足りません。
判断に至るまでの過程が、何らかの形で残されていることが必要です。

企業統治とは、間違えないための仕組みではありません。
間違えたときに、なぜそうなったのかを振り返り、次の判断へ生かすための仕組みでもあるはずです。

その積み重ねが、組織の成熟につながっていきます。
私たちは、不正が起きた企業を責めることはできます。
しかし、それだけでは社会は前に進みません。

本当に必要なのは、

「なぜ、その判断に至ったのか」

を共有し、次の世代が同じ迷いに直面したとき、より良い判断ができる社会をつくることではないでしょうか。

#00 なぜ、この記録を始めるのか

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