欧州ラグジュアリーブランド:第7回 美学という企業良心――効率や拡大だけでは説明できない判断は、どこから生まれるのか

こんにちは、荒木洋二です。

前回は、顧客との関係はなぜ深いのかを考えました。

ラグジュアリーにおける顧客との関係は、購入の瞬間だけで決まるものではありません。
使い続け、手入れをし、修理に出し、ときには次の誰かへ受け渡す。その時間の中で、顧客は企業の姿勢を確かめ、感情を関係へと育てていきます。

では、その関係を長く支えているものは何でしょうか。

品質でしょうか。
歴史でしょうか。
職人技でしょうか。
優れた接客でしょうか。

いずれも重要です。

しかし、それらを一つにつなぎ、何を守り、何を変え、何を拒むのかを決めている、さらに深い基準があります。

それが、美学です。

本稿では、ラグジュアリーにおける美学を、単なるデザイン上の好みではなく、企業の判断を支える「良心」として考えていきます。

1.美学とは、見た目の美しさではない

美学という言葉から、多くの人は色、形、素材、デザインを思い浮かべるかもしれません。

ラグジュアリーにおいて、視覚的な美しさが重要であることは間違いありません。
しかし、ここでいう美学は、それだけではありません。

美学とは、
・何を美しいとみなすのか
・何を不自然と感じるのか
・どこまでなら変えられるのか
・どこから先は変えてはならないのか
・何を利益と引き換えにしてはならないのか

を決める判断の基準です。

それは、商品をつくるときだけに働くものではありません。

誰と組むのか。
どこで売るのか。
どこまで生産するのか
何を広告で語るのか。
何をあえて語らないのか。

こうした経営判断の随所に、美学は現れます。

ラグジュアリーにおける美学とは、見た目を整えるためのものではありません。
企業が、自らを何者として保つのかを決める基準なのです。

2.企業良心とは何か

企業に、本当に良心があるのでしょうか。

企業は法律上の人格を持ちます。

しかし、ここでいう企業良心は、法的な概念ではありません。

企業が判断を迫られたとき、
利益、効率、成長だけでは説明できない選択をすることがあります。

売れるとしても、つくらない。
拡大できるとしても、急がない。
注目を集められるとしても、乗らない。
効率化できるとしても、残す。
短期的に不利でも、守る。

こうした判断の奥には、

自分たちは、何をしてよい存在なのか。
何をしてはならない存在なのか。

という問いがあります。

筆者は、この問いに応答する企業内部の基準を、企業良心と捉えています。

企業良心は、理念として掲げられているだけでは十分ではありません。
実際の判断に働いて初めて、その存在が見えてきます。

3.「選ばない」という判断

ラグジュアリーの特徴は、何を選んだかだけではありません。
何を選ばなかったかにも表れます。

大量に生産しない。
どこでも販売しない。
価格競争に加わらない。
流行にすべてを合わせない。
すべての顧客に迎合しない。

こうした判断は、外から見れば非効率に映ることがあります。

機会を逃している。
成長を抑えている。
市場を狭めている。

そのように見えるかもしれません。

しかし、選ばないことによって守られているものがあります。

品質。
職人の時間。
製品の希少性。
店舗や接客の秩序。
顧客との距離。
企業が積み重ねてきた意味。

すべてを選ぼうとすれば、企業の輪郭は次第に曖昧になります。

ラグジュアリーは、選ばないという判断を通じて、自らの輪郭を保ってきたと見ることができます。

4.効率化と美学は対立するのか

効率化そのものが悪いわけではありません。

無駄な工程を減らす。
働く人の負担を軽くする。
品質を安定させる。
資源を有効に使う。

こうした効率化は必要です。

問題は、効率化が目的となり、何を守るための効率化なのかが見えなくなることです。

時間がかかるから、省く。
人手が必要だから、減らす。
数字にならないから、やめる。
説明しにくいから、切り離す。

その結果、企業を支えていた意味や判断まで失われることがあります。

ラグジュアリーが守ってきたのは、非効率そのものではありません。
時間をかける必要があるものに、時間をかける判断です。

効率化してよい部分と、効率化してはならない部分を分ける。
その境界線を引くのが、美学であり、企業良心なのです。

5.美学は制度に支えられている

美学は、経営者やデザイナー個人の感覚だけに依存していては残りません。

創業者の美意識が、職人の判断に沈み込み、教育、工程、品質基準、空間、接客、記録へと組み込まれる。
そのとき、美学は制度になります。

制度化された美学は、人が入れ替わっても判断の基準として働き続けます。

もちろん、まったく同じ判断が繰り返されるわけではありません。
時代が変われば、表現も商品も顧客との接点も変わります。

それでも、

何を守るのか。
どこまで変えるのか。
何を自分たちらしくないと判断するのか。

という深部の基準が残っていれば、企業の人格は崩れません。

美学は、変化を拒むためのものではありません。
変化の中で自分を見失わないための制度です。

6.美学が権威へ変わるとき

一方で、美学は常に正しい方向に働くとは限りません。

「自分たちは特別である」
「顧客は理解すべきである」
「伝統だから変えられない」

こうした意識が強くなれば、美学は閉じた権威へと変わります。

自らの価値観を守ることと、他者を見下すことは違います。
迎合しないことと、応答しないことも違います。
伝統を守ることと、問いを止めることも同じではありません。

企業良心は、自らの基準を守るだけでは成立しません。

その判断が、働く人、職人、顧客、取引先、地域、社会にどのような影響を与えるのか。
その問いを引き受ける必要があります。

良心とは、自分たちらしさを守るための都合のよい言葉ではありません。
自らの判断を、他者との関係の中で問い続ける働きでもあるのです。

7.企業良心は、判断の中に現れる

企業良心は、目で見ることができません。

理念集の中だけにあるものでもありません。
創業者の言葉を掲げれば生まれるものでもありません。

それは、判断の中に現れます。

利益を得られるときに、何をしなかったのか。
効率化できるときに、何を残したのか。
拡大できるときに、どこで立ち止まったのか。
批判を受けたときに、誰の声に応答したのか。
過ちが起きたときに、何を引き受けたのか。

その履歴が積み重なったとき、企業の良心は外部からも感じ取られるようになります。

ラグジュアリーにおける美学とは、単に美しいものをつくる力ではありません。

何を守るのか。
何を選ばないのか。
何をしてはならないのか。

それを判断し続ける、企業人格の深奥にある基準です。

美学が企業良心として働くとき、企業は効率や拡大だけに流されず、自らの輪郭を保つことができます。

そして、その判断の履歴が、顧客の信頼を支え、関係を深め、企業の時間を未来へつないでいくのです。

次回は、デジタル時代の再意味化について考えます。
歴史、物語、技術、美学を持つラグジュアリーは、デジタルによって何を失い、何を新たに獲得しようとしているのか。SRCFの視点から読み解いていきます。

前の記事へ TOPへ