広報PRコラム#74 パブリシティの未来(8)

こんにちは、荒木洋二です。

前回はパブリシティ自体に対する無理解と、その成果に対する誤解が及ぼす(経営における)負の影響について触れました。その最たるものが企業と報道関係者との不和であり、実際に両者の間に埋めがたい溝を生じさせています。

■重要なのは「メディア露出数」なのか?

・中小・中堅企業やスタートアップの実態

広報体制が十分に整備されておらず、未経験者や経験の浅い人たちが現場を担っている企業では、残念ながら報道を広告やプレスリリースそのものと混同しています。報道自体を企業の告知媒体の一つとして捉えています。パブリシティをマーケティングの文脈で扱っています。
そんな企業とはもちろん大企業ではなく、中小・中堅企業やスタートアップです。ここ1、2年の間、オンラインで出会ったこれら企業の経営者たちにPR、プロモーション、アピールの違いを尋ねたところ、明確に説明できる人はほとんどいませんでした。PRを宣伝やプロモーションという意味合いで理解している人も多くいました。
さすがにほとんどの現場担当者は、PRとはパブリック・リレーションズの略であるとは理解していました。右も左も分からない状態で現場を任され、必死に書籍などで勉強しているから最低限の知識は頭に入れています。筆者は、昨年末までの約15カ月間、オンラインで「プレスリリースの作り方講座」を無償で開催していました。同講座には200人ほどの「一人広報」担当者が参加しました。その際、参加者と交流する中で分かった事実です。

・PR会社の実態

パブリシティを、しかも時にメディアへの「露出数」を、KPI(重要成果指標)として課せられたPR会社のスタッフたちも、残念ながら報道自体を企業の告知媒体の一つとして捉えています。そう解釈せざるを得ない振る舞いがどうにも目につきます。PR会社なのに、なぜそのような振る舞いをしてしまうのでしょうか。PRとはパブリック・リレーションズの略であり、広報と同義語です。PRとは「利害関係者との良好な関係構築」という概念です。決してセールスプロモーション(=販売促進)という行為ではありません。

にもかかわらず、マーケティングの一環として扱ってしまうのはどうしてでしょうか。その理由は彼らの業務内容、日々の営みに見いだせます。

大手PR会社は、広告代理店やクライアント企業のマーケティング部門から「商品PR」を依頼されることが少なくありません。大企業の広報部では十分に手が回らない領域をPR会社に外部委託するのです。となると、広告代理店やクライアント側から望まれることは、マーケティングの一環としての「メディア露出」です。その反響を期待され、そのことが現場では最優先されます。「メディア露出」を成果として望まれ、その対価として委託費が支払われます。ですから「メディア露出」にこだわらざるを得ません。ある意味、仕方がないことなのかもしれません。

■メディアは情報拡散装置 ヒトではなくモノとしての扱い

こうしてPR会社の重要な成果の指標として、必然的に「露出数」が設定されます。露出数を成果とすることで、どういう現象が生まれるのでしょうか。前回述べたようにプレスリリースがそのまま掲載されただけだったとしても、メディア(=ニュースサイトやポータルサイトのプレスリリースコーナー)での掲載、つまりメディアでの露出としてカウントし、報告します。もちろんニュースとしての価値を認められ、追加で取材を受けたり、あるいはプレスリリースを記者目線で編集したりして、記事として掲載されることもあります。

・媒体研究をおろそかにしたり、社会文脈を蔑ろにしたりする「不都合な真実」

PR会社が求められるのは露出そのものだけではありません。今後、露出する可能性がある媒体、あるいは露出のための交渉を続けている媒体の進捗状況を毎回報告します。クライアントから求められているというよりも、むしろ自ら進んで報告している場合もあります。どんな交渉をしているのか、記者や編集者は現状をどう評価し、これからどうすれば掲載に至るのか、などを報告一覧表に記載します。記載するためにとにかく電話やメールで記者や編集者に連絡して、そのやり取りでのコメントを、あたかも掲載につながる言質を取ったかのような勢いで報告します。

これら活動はともすると、クライアントに報告するためだけの儀礼的な作業になりがちです。「露出数」や「報告数」にのめり込むと、肝心の媒体研究をおろそかにしたり、社会文脈を蔑ろにしたりする傾向が強まります。ろくに媒体のことも知らない、どんな特集やコーナー、企画があり、どんな情報を求めている媒体なのかも理解していない人が執拗に連絡してくるのです。

そんなことを続けていると、どうなるでしょうか。

報道関係者から間違いなく嫌われ、うとまれます。筆者が指摘する両者の不和も埋めがたい溝も、報道関係者(記者、編集者)側だけが抱いている感情です。PR会社のスタッフを快く思っていない報道関係者は少なくないのです。実に嘆かわしい、「不都合な真実」がPR業界に横たわっています。

・PR会社に対する苦言、不満

この4月で筆者は広報PR歴25年を数えます。四半世紀が経ちました。当社には専属の社員ではありませんが、クライアントの要望に応じて、当社の名刺を持ってもらいチームとして動くスタッフがいます。その中に広報PRに携わり20年前後となるベテラン女性が二人います。彼女たちが日頃から交流がある記者たちと、打ち合わせをしたりランチを共にしたりすると、決まって記者たちから苦言を呈されます。「なぜ、PR会社はああなるんだ」と不満を漏らされるといいます。

報道関係者個人の気持ちや姿にはまるで関心がなく、ただひたすら「メディア」という「情報拡散装置」としてしか見えていないようです。そう認識されても弁解の余地はないでしょう。「人」ではなく「装置」であり、「ヒト」ではなく「モノ」としての接し方です。

■著作権に対する無知と無関心

このような意識はPR会社のスタッフだけでなく、中小・中堅企業、スタートアップの経営者にも通じるものがあります。これら企業の広報担当者は、(今度は広告代理店や企業のマーケティング部門ではなく)代表者から「メディア露出」を課せられます。プレスリリースがそのまま掲載されるサイトへの掲載数も重要な「露出数」ですから、プレスリリースの配信数が重要な意味を持ちます。とにかく毎日でもいいから配信しろ、と現場に檄が飛ぶのです。中には売り上げ目標を課せられている担当者もいました。この話を聞いた時は、マーケティング文脈での行き着く先はここなのか、と詠嘆したのでよく覚えています。

今まで述べたきたような理解と意識を持っていると、報道機関の権利も平気で悪気なく踏みにじります。

新聞や雑誌の記事には著作権があります。テレビでの映像も同様です。インターネットのさまざまなニュースサイトの記事にも著作権があります。無料で読めるニュースサイトでも、記事自体には厳然たる著作権があります。大企業の広報部や法務部は著作権について正確に理解していますから、この権利を侵害することはありません。

しかし、中小・中堅企業、スタートアップはこの意識に欠けています。著作権に対する無知と無関心ゆえに掲載された記事を無断で、しかも堂々と悪気なく自慢げにウェブサイトにPDFデータにして掲載しています。中にはPDFデータにして自社の記事部分だけを赤く囲う加工を施したり、掲載号の雑誌の表紙や媒体のロゴまで同時に掲載したりしています。「著作権侵害のオンパレード」状態です。しかもプレスリリースがそのまま掲載されただけなのに、これも「メディア掲載」として紹介しています。

そんな状態のウェブサイトを閲覧した報道関係者は、この会社のことをどう理解するのか。どんな感情を抱くのか。次回も報道関係者との間に生じる課題について論じます。

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