中級講座 Ⅰ.理論・基礎知識 米国歴史・近代的PR(2)
こんにちは。荒木洋二です。
今回も前回の講座同様に
1、米国における誕生と歴史
について確認を進めます。
参考文献は、『デジタル時代の基礎知識PR思考』(伊達佑美・根本陽平著、翔泳社刊)です。
「米国における誕生と歴史」は、次の三つに分けています。
①鉄道会社による「近代的PR」の幕開け
②パブリシティの時代
③パブリック・リレーションズへ進化
前回は、①を確認しました。今回は、②③について確認していきます。
②パブリシティの時代
米国PRの歴史において、19世紀末から20世紀初頭は「パブリシティの時代」といえます。元新聞記者のアイヴィ・リー氏が、米国初のPR会社を1904年に設立しました。彼は、「PRの創始者」とも言われています。この時代、すでに企業経営に社会心理学が不可欠であると言われていました。初級講座でも、社会心理学ついて少し触れました。広報・PRとは何かをしっかりと論理的に考えるに当たって、社会心理学は非常に示唆に富んでいます。広報・PRの本質を理解するためには欠かせない知識です。関心のある人は、社会心理学に関する書籍を読んでみるといいかもしれません。
ここで「パブリシティとは何か」について、もう一度振り返ってみましょう。企業・組織の情報が、どのように一般社会に伝わるのか。企業・組織が、まず、プレスリリースなどの報道資料を報道機関に向けて発信します。報道機関とは、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌のマスメディアのことです。当時の米国では主に新聞です。現在では、インターネットも含まれます。
次に、情報を受け取った新聞や雑誌などの記者たちが、一般社会、国民に、つまり視聴者や読者にとって伝える必要がある情報だと判断すれば、自分たちの媒体を通じて、ニュースとして報道します。取材などを通して、自らの視点で編集し、報道します。その報道内容が一般社会の人々(視聴者や読者)に伝わる、という一連の流れが、パブリシティです。インターネットがなかった時代、企業と一般社会をつなぐ役割を報道機関は担っていました。マスメディアは社会に対して大きな影響力を持っていました。企業や組織の規模が大きくなればなるほど、(個人・法人を問わず)一つ一つの主体に迅速に情報を伝える手段がありませんでした。直接コミュニケーションする手段は、時間的にも空間的にも限られていました。企業の情報発信にとって、パブリシティが非常に重要な役割を果たしていました。
③パブリック・リレーションズへ進化
第一次世界大戦終了後の1920年代、米国に「PRの父」と呼ばれるエドワード・バーネイズ氏が現れました。米国の民主主義によって、「パブリック・リレーションズ」は誕生しました。そして、第二次世界大戦後、パブリックリレーションズが世界に普及してい来ました。民主主義によって誕生し、そして資本主義を通じて、パブリック・リレーションズは発展していきました。特に企業経営を通じて広がりました。民主主義・資本主義とともに、日本を含む世界へと広がっていったということです。
最後に、米国における社会と企業をめぐるコミュニケーションの変化について概観してみましょう。先述した、参考文献である『デジタル時代の基礎知識PR思考』の26ページに掲載されている図を引用して、以下に掲載します。※下図参照
この図自体の出典は、『パブリックリレーションズの歴史社会学 アメリカと日本における<企業自我>の構築』(岩波書店刊)です。
どういう変化を遂げたのか。
企業のコミュニケーション手段、情報発信手法として、主に次の四つが挙げられます。
・ジャーナリズム
・プロパガンダ
・広告
・PR
第1にジャーナリズムとは報道のことです。第2にプロパガンダとは宣伝のことです。特に国際社会の、政治の世界でよく使われるのがプロパガンダです。第3に広告です。広告とは、マスメディアの時間やスペース、公共空間の場所などを企業が購入して、情報発信することを指します。企業社会では、広告と宣伝も同じような使われ方をします。プロパガンダは、どちらかというと政治的な主張の場合に使われるケースが多いですね。第4に、PR。パブリック・リレーションズです。
企業は、四つの組み合わせで社会とコミュニケーションしています。企業と社会との関わり方が、時代とともにどのように変化していったのでしょうか。
四つはどれも同じように聞こえ、大差がないように思われるかもしれません。しかし、先に説明したとおり明確に違います。
最初は、ジャーナリズムが社会に対して大きな影響を持っていました。メディアの発達とともに、ジャーナリズムの影響力が次第に確実に大きくなりました。プロパガンダも広告もPRも包含されていました。企業の社会とのコミュニケーションの主流は、PR(パブリック・リレーションズ)であり、その一環として広告が位置付けられていました。もちろんパブリシティの側面でジャーナリズムも企業のコミュニケーションの一環としてありました。
その後、第二次世界対戦後、資本主義が発展していきます。そうなると、広告が非常に大きな影響力を持ちました。広告という大きな枠組みの中に、プロバガンダやPRも含まれるというか、飲み込まれるような状況でした。
現代はどうでしょうか。完全に枠組みが変わります。企業社会では、PRとIMC(インテグレテッド・マーケティング・コミュニケーション)が非常に大きな影響力を持ちます。概念として、PRとIMCが最上位に位置しています。そのもとにプロパガンダと広告が位置付けられます。ここに影響力を及ぼす存在として、ジャーナリズムがあります。時代の変化とともに、社会と企業をめぐるコミュニケーションもどんどん変化してきた、ということが分かります。
前回と今回の講座で、米国におけるPRの誕生と、現在に至るまでの歴史を概観しました。
次回からは4回にわたり、日本におけるPRの誕生と歴史を見ていきます。