感情は、どのように組織の判断になるのか:第3回 一人に、聞く・記録する・決めるを背負わせない

感情は、どのように組織の判断になるのか
第3回 一人に、聞く・記録する・決めるを背負わせない
苦情や強い要求を受けたとき、現場の担当者には多くのことが同時に求められます。
相手の話を聞く。
感情を受け止める。
事実を確認する。
会社として何ができるかを考える。
必要に応じて謝罪する。
対応の経過を記録する。
そして、ときには、その場で判断を求められます。
「責任者として、今ここで決めてください」
「返金するのか、しないのか」
「あなたでは話にならない。社長を出してください」
こうした場面では、一人の担当者に、対話と記録と判断が集中しやすくなります。
しかし、本当にそれでよいのでしょうか。
「3人の法則」
2026年7月、NPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会が開催したオープンセミナーで、株式会社kibi代表取締役の榎本澄雄氏は、「3人の法則」を紹介しました。
そこでは、三つの役割が示されています。
一つは、相手との交渉を担うメイン担当。
もう一つは、そのやり取りを記録するサブ担当。
そして、組織として判断する意思決定者です。
さらに、
「クレーム担当者は、決定を下さない」
「意思決定者はクレームを担当しない」
という原則も示されています。
榎本氏の資料では、これを「交渉官と指揮官の分離」と表現しています。
私はこの部分を聞きながら、単なるクレーム対応のテクニック以上の意味があると感じました。
聞くことと、決めることは違う
相手の話を丁寧に聞くためには、その場で結論を出そうとし過ぎないことが大切です。
「この要求には応じられるだろうか」
「どこまで補償すればよいだろうか」
「会社にどのくらい損失が出るだろうか」
こうした判断を同時に考えながら話を聞けば、担当者の意識は相手から離れていきます。
逆に、相手の感情に深く入り込み過ぎれば、今度は冷静な判断が難しくなることがあります。
相手の事情を知り、感情を受け止めた担当者だからこそ、
「ここまで困っているのだから、何とかしてあげたい」
という思いを抱くこともあるでしょう。
それ自体は、人として自然な反応です。
しかし、その思いだけで会社としての判断を決めてよいとは限りません。
聞くことには、聞くことの役割があります。
判断することには、判断することの役割があります。
二つを分けることで、どちらもより丁寧に行えるのではないでしょうか。
記録する人がいる意味
「3人の法則」で、もう一つ重要なのがサブ担当です。
相手との対話では、言葉だけが交わされているわけではありません。
声の強さが変わる。
同じ言葉を繰り返す。
ある話題になると感情が高ぶる。
逆に、ある説明をしたところで少し落ち着く。
相手の要求も、対話の途中で変わることがあります。
メイン担当者は、その全てを受け止めながら会話を続けています。
同時に詳細な記録まで残そうとすれば、相手への集中が途切れます。
だからこそ、別の人が記録する意味があります。
何を訴えていたのか。
どのような感情が示されたのか。
会社側は何を説明したのか。
何を約束し、何を約束しなかったのか。
どの時点で状況が変化したのか。
記録する人がいることで、対話は、その場限りの経験ではなくなります。
記録は、担当者を守る
記録には、もう一つの役割があります。
担当者自身を守ることです。
苦情対応の後、
「そんなことは言っていない」
「担当者が約束した」
「会社が責任を認めた」
と、双方の認識が食い違うことがあります。
担当者一人の記憶だけに頼れば、何が実際に話されたのかを後から確認することは難しくなります。
とりわけ、強い感情にさらされながら対応した場合、人の記憶が全て正確に残るとは限りません。
記録があれば、誰かを疑うためではなく、何が起きたのかを組織として確認できます。
そして、担当者が一人で、
「自分の対応は正しかったのだろうか」
と抱え込む必要も少なくなります。
記録とは、相手を監視するためだけのものではありません。
対応した社員を支えるためのものでもあります。
意思決定者が前面に出ない理由
もう一つ、私が興味深く感じたのは、
「意思決定者はクレームを担当しない」
という考え方です。
苦情を受けた側からすれば、
「責任者を出してほしい」
「社長と直接話したい」
という要求が出ることがあります。
もちろん、経営者自身が説明すべき場面もあります。
しかし、最初から意思決定者が交渉の最前線に立てば、そこでの発言一つ一つが、そのまま組織の最終判断として受け取られかねません。
また、相手との対話の中で感情的な力が強く働けば、意思決定者自身もその影響を受けます。
だからこそ、対話を担う人と、最終的な判断を担う人を分ける。
これは、責任から逃げることではありません。
むしろ、組織として責任ある判断をするための距離を確保することだと、私は受け止めています
役割を分けることは、責任を分散させることではない
ここで注意したいのは、役割を分けることと、責任を曖昧にすることは違うという点です。
「私は聞いただけです」
「記録しただけです」
「上が決めたことです」
それぞれがそう言ってしまえば、組織としての応答は分断されます。
必要なのは、責任を押し付け合うための分業ではありません。
それぞれが自分の役割を果たしながら、一つの判断へ情報をつなげることです。
メイン担当者は、相手の言葉と感情を受け取る。
サブ担当者は、事実と応答の経過を記録する。
意思決定者は、その情報をもとに組織として判断する。
そして、その判断を再び相手への応答へ戻す。
三つの役割は、分かれていながら、つながっていなければなりません。
一人の力量から、組織の能力へ
優れた担当者がいれば、難しい苦情にも上手に対応できるかもしれません。
相手の感情を読み、言葉を選び、状況を落ち着かせる。
それは大切な能力です。
しかし、その人が休んだら対応できない。
その人が退職したら経験も失われる。
その人だけが難しい案件を抱え続ける。
それでは、組織としての力になったとは言えません。
「3人の法則」が示しているのは、単に三人で対応しましょうという話ではないと、私は考えています。
聞く。
記録する。
判断する。
それぞれの役割を明らかにし、情報をつなぎ、組織として応答する。
そこまで仕組みにすることで、個人の経験が、組織の経験へと変わっていきます。
誰が、何を引き受けるのか
第1回では、感情に名前を付けることを考えました。
第2回では、感情への応答と、要求を受け入れることを分けました。
そして今回、その先にある役割分担を考えてきました。
ここまでをつなげると、一つの流れが見えてきます。
現場で相手の感情を受け取る。
その感情と事実、要求を分けて整理する。
やり取りを記録する。
組織として判断する。
その判断を、再び相手への応答として返す。
では、この一連の過程が繰り返され、記録として残されていくとき、組織には何が蓄積されていくのでしょうか。
一つ一つの応答は、どこから組織の仕組みとなり、どこからガバナンスになるのでしょうか。
最終回では、現場の応答と組織の判断をつなぎながら、この問いを考えます。
関連情報
榎本澄雄氏の『元刑事の「説得しない」交渉術』では、感情の言語化だけでなく、事実の要約、開放的な質問、沈黙、復唱など、対話を続けるための具体的な技術が紹介されています。
相手の要求を受け入れる方法ではなく、感情が高ぶった場面でも公正さを保ち、双方が考えられる状態をつくるための方法として捉えると、苦情対応以外のさまざまな対話にも応用できます。
顧客対応を担う広報担当者や相談窓口の担当者だけでなく、社員や取引先との難しい対話に向き合う経営者、管理職にも示唆のある内容です。
関連ページ
元刑事の「説得しない」交渉術
https://www.kibiinc.co/store/products/als
出典表記
本稿は、榎本澄雄氏によるRMCAオープンセミナー「元刑事の『説得しない』交渉術」および、同氏から提供を受けた講演資料をもとに、筆者の考察を加えて執筆しています。
