広報PRコラム#38  オウンドメディアって何?(3)

こんにちは、荒木洋二です。

前回のコラムでは、歴史の古いマスメディアである新聞と雑誌、そこに企業広報誌を加え、それぞれがいつから始まったのか、その創刊時期を明らかにしました。広報誌は、わが国の文化醸成を主導するような立場や役割を担っていたことも確認できました。今回は、元祖「オウンドメディア」である企業広報誌の歴史を、もう一歩掘り下げてみます。インターネットがあまねく広がった現代において、企業広報はどうあるべきか、その重要なヒントが見えてくるに違いありません。

◆丸善、エッソ、トヨタ、資生堂 代表的な四つの広報誌を研究

前回の執筆に当たって、『日本の広報・PR100年』(猪狩誠也編著、同友館刊)を改めて手に取りました。企業広報誌の歴史をたどるなかで、同書内で何度も引用されていたのが三島万里氏の『広報誌が語る企業像』(日本評論社刊、2008年)でした。三島氏は、1991年、ファッション・デザイン系の文化学園大学の助教授、1999年教授に就任しました。現在は特任教授です。2003年、新たな研究領域として、従来の経済学に「コミュニケーション学」を追加し、東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科で学び、2006年学位を取得したといいます。企業コミュニケーションの研究者であり、筆者にとっては非常に興味がある分野・領域です。

『広報誌が語る企業像』のことがどうにも気になって仕方なかったので、アマゾンで思わず購入してしまいました。2日後、手元に届くやいなや勢いよく封を破き、ページを開きました。企業コミュニケーションと企業広報誌の役割や位置付けに始まり、代表的な4社の広報誌を研究していました。それぞれの企業において、①創刊の目的、②内容の特徴、③その変化と経済社会環境との関連、④企業広報上の機能、の4点について考察しています。取り上げていた4社とその広報誌は次のとおりです(カッコ内は創刊した年)。

・丸善    :『學鐙』      (1897年)
・エッソ   :『Energy』  (1964年)
・トヨタ自動車:『自動車とその世界』(1966年)
・資生堂   :『花椿』      (1937年)

現存しているのは『學鐙』と『花椿』の2誌です。

『學鐙』の歴史については、前回のコラムで軽く触れました。丸善創業150周年に当たる2019年10月に丸善出版ウェブサイトで詳しく紹介されています。同年6月に出版された150周年記念特別号(非売品)の全文がウェブサイトで公開されています。『花椿』の歴史の概観については、同誌専用ウェブサイトで確認できます。現在、印刷媒体では季刊で発行されており、資生堂関連施設と一部書店で配布されています。オンラインでは一冊からでも購入できます。コロナ禍の影響で定期購読は休止しているようです。

◆企業理念伝達、文化伝承・創造、課題設定、世論形成・変更などの機能

丸善と資生堂は、広報誌に明確な役割、共通する役割を持たせていました。それは企業理念の伝達と文化伝承です。両者は不可分一体の関係でした。『學鐙』は読書文化を、『花椿』は化粧文化を伝承する機能を有していました。彼らが伝承しようとした文化は、それぞれの会社の主要事業そのものでした。文化を伝えることは、すなわち事業の根底にある企業理念を伝えることに等しかったといえます。

『広報誌が語る企業像』では、各社の歩みから数多くの気付きを得られました。その内容に引き込まれ、一気に読破しました。4誌の歴史それぞれに教訓とすべき事柄や、現在に生かすべき姿勢がいくつも見受けられました。三島氏が4誌の内容を分析し、共通する企業広報上の機能が11点あることを明らかにしたことも同書の特筆すべき点です。中でも筆者が注目したのは先述した二つを含む、次の五つの機能です。

1.企業理念・企業活動伝達機能
2.文化伝承・創造機能
3.課題設定機能
4.世論形成機能
5.世論変更機能

エッソの『Energy』とトヨタ自動車の『自動車とその世界』に共通していたのは、課題設定機能です。世論形成と世論変更もそこに連なります。『Energy』は、「外資系に対するアレルギー払拭という世論変更」に果敢に挑戦しました。世論変更後、監修者・執筆者の多くが所属していた京都大学人文科学研究所による国立民族学博物館設立という課題に取り組み、そのための世論形成を担い、実現に至らしめました。『自動車とその世界』は、「自動車をめぐるさまざまな社会問題を分析、その解決方向を模索し、企業行動の中に取り入れるという目的をもった一種の『社会派』的な雑誌として」始まったのです。批判や厳しい意見に対しても誌面上で取り上げ、さまざまな課題と正面から向き合い、解決のための議論を惜しみませんでした。

両誌の共通点として、もう一つ挙げられるのが、読者対象がオピニオン・リーダーを含んでいたことです。世論を形成したり、変更したりするためにオピニオン・リーダーの存在は欠かせません。『Energy』は監修・執筆に関しては文化人や言論人などを外部から招き入れました。彼らもまたオピニオン・リーダーといえる人たちでした。執筆陣や読者たちが『Energy』を世に広めました。他の媒体でのインタビューや自分の発言・発表の際に口にしたのです。そうして、エッソの認知は広がり、外資系であっても社会から受容されるようになったのです。

一方、『自動車とその世界』の編集は、トヨタ自動車と現代文化研究所が担っていました。同研究所はシンクタンクであり、編集プロダクションとしてトヨタ自動車の広報部と共同で編集と制作に当たっていたようです。創刊当時は「自動車を取り巻く諸問題に対して若手の研究者を取り込み、社員とともに考え、その結果を読者に発信していくと同時に、社内にもフィードバックすることに積極的であったこと」は注目すべき点でしょう。

しかし、両誌は廃刊に追い込まれるという点でも同じ運命をたどりました。『Energy』は、石油ショックの中で石油企業として社会からの厳しい批判にさらされました。『自動車とその世界』は、欠陥車問題などに端を発し、社会から批判の矢面に立たされました。その後、環境問題に対する国際的な関心が高まっていきました。いずれも三島氏によれば、その批判から逃れるようにして、広報誌廃刊を決断したようです。三島氏は企業広報誌全体を研究するなかで、各社の企業広報に対して警鐘を鳴らしています。創刊時、信頼を創出するため、情報開示と情報共有のために広報誌を発行していました。しかし、厳しい競争社会で事業を営む中で、ほとんどの企業がいつしか情報操作とマーケティング重視の広報誌へと変容していくのです。

今の日本企業社会の広報は、特にインターネット上で展開されるオウンドメディアは、まさしく情報操作とマーケティング重視に染まっている、と筆者は危惧しています。

◆広報は企業存続のエネルギー源

『日本の広報・PR100年』が出版される前、愛読していた広報の歴史に関する書籍があります。経済広報センターが監修、猪狩誠也氏が編著者の『企業の発展と広報戦略』(日経BPコンサルティング刊、1998年)です。
同書の中で『Energy』の編集長だった高田宏氏が、エッソ会長であった殿村秀雄氏のことをこう回想していました。「社長の殿村秀雄は、時々、〝高田君、飯を食いに行こう〟と誘い、口癖のように、〝広報とは企業にとって米の飯だ。景気不景気に左右されるものではなく、企業の生存のための基本的な栄養、エネルギー源だから、これをなくすわけにはいかない〟と言っていた」といいます。

トヨタ自動車は、現在、グローバルニュースルームを情報発信基地として位置付け展開している、と筆者は理解しています。カーレース入門やトヨタイムズもニュースルームに集約されています。どんな人たちとも正面から向き合い、ありのままの姿を表そうとする思いが伝わります。『自動車とその世界』創刊当時の姿勢と深く重なると感じるの筆者だけではないでしょう。

今、広報に携わる人たちはエッソの殿村氏の言葉を肝に銘ずべきではないでしょうか。

「広報とは企業にとって米の飯だ。景気不景気に左右されるものではなく、企業の生存のための基本的な栄養、エネルギー源だから、これをなくすわけにはいかない」。

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