中級講座 Ⅰ.理論・基礎知識 広報・PRの歴史 日本における誕生と歴史(3)

こんにちは。荒木洋二です。
今回も「広報・PRの歴史」について、解説します。

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今回の講座の参考文献は次の2冊です。

・『日本の広報・PR100年』(猪狩誠也編著、同友館刊)
・『企業の発展と広報戦略』(経済広報センター監修、猪狩誠也編、日経BP企画刊)

『日本の広報・PR100年』は、2011年の出版です。300ページくらいあり、日本広報の100年間を振り返っています。

『企業の発展と広報戦略』は、1998年の出版です。こちらも300ページくらいあり、同書の方が企業の広報については、詳しく書かれているが部分あります。

いずれも非常に詳しく書かれていますので、日本の広報・PRの歴史に関心がある人は、ぜひ購入して、ご自身で一度読んでみてください。

今回は、「日本における誕生と歴史」の3回目です。前回は、「③社内報と広報誌」について解説しました。

今回は、「④報道機関の発達、大企業に普及」について解説します。

④報道機関の発達、大企業に普及

第二次世界大戦後、「PR=パブリック・リレーションズ」が企業社会に導入されました。民主主義の普及とあいまって、資本主義が浸透し、日本経済も発展を遂げます。
経済発展に伴い、社会に対する影響力を及ぼす存在として台頭してきたのが、報道機関と大企業です。両者はお互いに関係し合い、影響し合っています。報道機関が発達するにつれ、大企業でパブリック・リレーションズが広まり、相次ぎ広報部を設置するなど、普及が進展します。

まず、報道機関・メディアを見ていきましょう。報道機関として最初に登場したのが、新聞です。全国紙はほとんど1870年代に創刊されています。産経新聞以外は明治時代に創刊されています。古い順に示すと次のとおりです。

毎日新聞  :1872年 2月21日(創刊当時名称:東京日日新聞)
読売新聞  :1874年11月 2日
日本経済新聞:1876年12月 2日(同:中外物価新報)
朝日新聞  :1879年 1月25日
 

テレビは第二世界大戦後に開局されます。
1953年、NHKが開局されたのを皮切りに、同年に日本テレビ、1955年にTBS、1959年にフジテレビ、テレビ朝日が開局されます。

一方、雑誌は戦前からありました。週刊朝日やサンデー毎日は戦前からありました。いずれも新聞社と関係のある雑誌で、戦前からありました。1950年代後半から1960年代前半は、週刊誌の創刊ラッシュがありました。テレビとほぼ同時期から、雑誌も週刊誌を中心に数多く創刊されました。

次に大企業については主要なものを挙げますと、次のとおりです。

・1953年:日本航空 広報課を設置
・1955年:東京ガス 総務部の中に広報課を設置
・1956年:松下電器(現・パナソニック) PR本部を設置
       創業者の松下幸之助氏が初代本部長に就任

・1956年:東レ 広報課を設置
・1958年:三菱電機 企画部に弘報課を設置
       ※誤字ではありません。「広」でなく「弘」を使用

1950年代、大企業では相次ぎ広報課が設置されて、パブリック・リレーションズ活動が企業の中に浸透していきました。

マスメディアの発達により広告も企業社会に広がります。皆さん、ご存じのようにわれわれがテレビを無料で視聴できるのは、CMがあるからです。スポンサー企業の広告費があるから、地上波テレビを視聴料を支払わずに視聴できます。国営放送のNHKは例外ですが。ラジオも同様に広告費で運営しています。新聞や雑誌は購読料と広告の両輪で経営しています。

企業広報における変化もありました。マスメディアが企業のニュースを取り上げることが徐々に増えていました。業界紙や経済・産業紙はもともと経済動向や企業ニュースばかりです。それが全国紙やテレビも、一企業のニュースを報道する機会が増えます。専門誌や情報誌も増えました。

当時は、大量生産・大量消費の時代です。企業がより多く人たちに自社の製品・サービスの存在を知ってもらおう、あるいは販売しようとすると、認知の手段はマスメディアしかありませんでした。マスメディアの報道や広告があって、はじめて多くの人の目に留まって、その接点をきっかけに店舗を訪れ購入します。これが購買決定のメカニズムであり、購買行動のきっかけをマスメディアが創出していました。同時に屋外広告や交通広告なども広がり、購買決定における重要な一翼を担いました。

これまで確認したように、マスメディアの発達と、大企業での広報の普及は、お互いに影響し合っているのです。

同時期である、1950〜60年代にPR会社が相次ぎ現れます。まず、外資系のPR会社が、それから国産のPR会社が生まれます。PR会社は、大企業から仕事を受託します。

企業社会では、経済発展する中でマーケティング技術も目覚ましい進歩を遂げます。マスメディアとは、密接に深く影響し合う、相関関係があります。マーケティング活動においても、広告が大きな役割を果たしていました。そういう状況下でPR会社は登場しました。必然的にと言っていいかもしれませんが、パブリシティが広報の最前線であるかのように目立っていきました。

パブリシティとは、報道機関(メディア)にまずプレスリリースなどで情報を発信します。受け取った報道機関が視聴者や読者に伝える価値があると判断すれば、自らの視点で報道します。
「マーケティング広報」という用語が、当たり前のように広報PR業界では使われています。日本語に直すと、何を言っているのか、意味しているのか、今一つ不明瞭なのですが、パブリシティがマーケティングの一環として捉えられるようになっていきました。

今回は、「日本における誕生の歴史 ④報道機関の発達、大企業に普及」について解説しました。
次回からは2回に分け、「⑤中小・中堅企業の視点からの歴史概観」を解説します。

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