感情は、どのように組織の判断になるのか:第4回 現場の応答は、どこからガバナンスになるのか

感情は、どのように組織の判断になるのか
第4回 現場の応答は、どこからガバナンスになるのか
一件の苦情が、無事に収まった。
相手の話を丁寧に聞き、感情を受け止め、事実を確認し、会社として回答した。
担当者も、難しい場面をよく乗り切った。
そこで対応を終えてよいのでしょうか。
もちろん、目の前の相手との対話を終えることは大切です。
しかし、組織にとっては、その後にもう一つの問いが残ります。
なぜ、その出来事は起きたのか。
そして、
今回の応答から、組織は何を学ぶのか。
この問いに向き合わなければ、同じことが別の顧客、別の社員、別の現場で繰り返されるかもしれません。
現場の応答が、組織のガバナンスへつながるのは、むしろここからです。
対話が終わっても、組織の仕事は終わらない
これまでの3回では、榎本澄雄氏による「元刑事の『説得しない』交渉術」を起点に考えてきました。
第1回では、相手の感情を仮説として言葉にする「感情のラベル付け」。
第2回では、感情への応答と、相手の要求を受け入れることを分ける必要性。
第3回では、「3人の法則」から、聞く人、記録する人、決める人を分ける意味を考えました。
榎本氏の講演資料では、人質事件などにおける説得交渉の過程として、「興奮の沈静化」「感情の言語化」「信頼の醸成」「影響力の行使」「行動の変化」という段階が示されています。
相手を説き伏せるのではなく、まず相手の状態を理解し、対話を続け、信頼をつくった先に行動の変化がある。
私は、そこに現場での応答の重要な原則を見ることができました。
一方、企業という組織から考えると、「行動の変化」で全てが終わるわけではありません。
相手とのやり取りが終わった後、その経験を組織へ戻す必要があります。
一件の対応を、一件で終わらせない
例えば、ある顧客が「説明されていない」と強い不満を訴えたとします。
担当者が丁寧に対応し、顧客が納得して帰った。
それだけを見れば、問題は解決したように思えます。
しかし、記録を振り返ると、
同じ説明不足について、過去にも複数の問い合わせがあった。
特定の担当者だけではなく、複数の社員が同じ説明を省略していた。
そもそも社内の説明手順が曖昧だった。
そんなことが見えてくるかもしれません。
この場合、問題は一人の顧客との関係だけにはありません。
社員個人の対応力だけの問題でもありません。
説明の仕方、情報共有、業務手順、教育など、組織側に見直すべきものがあります。
一件の応答を記録し、ほかの事例と重ねることで、初めて見えるものがあります。
記録は「証拠」だけではない
苦情対応の記録というと、後で問題になったときの証拠として残すもの、という印象があるかもしれません。
もちろん、それも重要な役割です。
しかし、記録の価値はそれだけではありません。
どんな出来事があったのか。
相手は何を訴えたのか。
その背景に、どのような感情があったのか。
会社は何を確認したのか。
誰が、どのような判断をしたのか。
どのように応答したのか。
その結果、関係はどう変化したのか。
こうした履歴が残されていれば、組織は後から自らの判断と応答を振り返ることができます。
記録とは、相手の言動を残すだけのものではありません。
組織自身が、何を見て、何を考え、どう判断したのかを残すものでもあります。
応答の履歴が、次の判断を支える
組織では、同じような出来事が繰り返し起こります。
しかし、全く同じ出来事はありません。
顧客も違えば、社員も違う。
場所も、時間も、背景も違います。
だから、過去の対応をそのまま当てはめればよいわけではありません。
それでも、過去の判断と応答の履歴は、次に考えるための材料になります。
「前回は、なぜこの判断をしたのか」
「何を事実として確認したのか」
「どこまでを会社の責任と考えたのか」
「何をできないと判断したのか」
「その後、関係はどうなったのか」
こうした問いをたどれることが、次の判断の質を高めます。
逆に、履歴がなければ、担当者が変わるたびにゼロから判断することになります。
同じような案件なのに、人によって回答が変わるかもしれません。
声の大きな相手だけに特別な対応をしてしまうかもしれません。
第2回で考えた「公正」も、個々の担当者の善意だけでは維持できません。
過去の判断を確認しながら、現在の状況との違いを考えられる仕組みが必要です。
ガバナンスは、最後の「決裁」だけではない
ガバナンスという言葉から、取締役会や経営会議、社内規程、監査などを思い浮かべるかもしれません。
それらはもちろん重要です。
しかし、私は今回の連載を通じて、もっと手前にもガバナンスが存在していると感じました。
現場で何を察知するのか。
誰の話を聞くのか。
どの事実を確認するのか。
何を記録するのか。
誰に共有するのか。
誰が判断するのか。
その判断を、誰が相手に伝えるのか。
そして、後から誰が振り返るのか。
この一連の過程そのものが、組織の判断を支えています。
「3人の法則」で、交渉する人、記録する人、意思決定する人を分けることにも、同じ意味を見いだせます。
役割を分けることで、一人の担当者が全てを抱え込むことを防ぐ。
同時に、現場で受け取った情報を、組織の判断へつなげる。
役割は分かれていても、応答の過程はつながっている。
そこに、ガバナンスの原型があるのではないでしょうか。
個人の技術から、組織の仕組みへ
榎本氏の講演で紹介された感情のラベル付けや開放的質問、沈黙、復唱などは、いずれも現場で使われる技術です。榎本氏の資料では、これらが「アクティブリスニングスキル」として整理されています。
優れた技術を持った人がいることは、大きな力です。
しかし、個人の技術だけに依存すれば、その人がいなくなったときに失われます。
経験が記録される。
振り返られる。
ほかの社員と共有される。
必要であれば、対応手順が変わる。
判断基準が明確になる。
教育に反映される。
経営者にも届く。
そこまで進んで初めて、個人の経験が組織の仕組みへ変わっていきます。
私は、ここに一つの境界線があると考えています。
現場の応答が、次の判断を変えるようになったとき。
そのとき、応答は一度限りの対応ではなく、組織のガバナンスをつくる働きを始めます。
感情は、組織を映す情報でもある
この連載のタイトルを、「感情は、どのように組織の判断になるのか」としました。
第1回を書いたとき、私は、感情に名前を付けることを「その感情を組織が応答できる情報へと変える、最初の一歩」と考えました。
最終回まで考えてくると、その意味が少し広がって見えます。
顧客の怒り。
社員の恐怖。
取引先の不満。
地域の不安。
そうした感情の全てが正しいとは限りません。
感情が、事実そのものでもありません。
だから、確認と判断が必要です。
しかし、その感情が生まれたという事実には、組織との関係の中で何かが起きている可能性があります。
説明が足りなかったのか。
期待をつくり過ぎたのか。
約束が守られなかったのか。
相手の声を聞く仕組みがなかったのか。
社員に過度な負担を負わせていたのか。
感情を単なる「ノイズ」として排除してしまえば、こうした兆候を見落とすかもしれません。
感情は、判断そのものではありません。
けれども、判断を始めるための重要な情報にはなり得ます。
応答できる組織であるために
「応答する」という言葉には、単に返事をする以上の意味があります。
相手の声を受け取る。
事実を確かめる。
考える。
判断する。
その理由を伝える。
必要であれば、自らの行動や仕組みを変える。
そして、その経過を記録する。
組織が社会との関係の中で責任を果たすとは、こうした応答を積み重ねることでもあるのではないでしょうか。
榎本氏の「説得しない」という言葉から始まった今回の連載は、私にとって、現場の対話技術を考えるだけのものではありませんでした。
相手の感情を受け取ること。
それを言葉にすること。
要求とは分けて判断すること。
一人に全てを背負わせないこと。
記録を残すこと。
そして、その記録を次の判断へ返すこと。
これらがつながったとき、現場の一つの応答は、組織の学びになります。
組織の学びが積み重なれば、判断の仕組みが変わります。
私は、その連なりの先に、ガバナンスがあると考えています。
関連情報
榎本澄雄氏の『元刑事の「説得しない」交渉術』では、感情の言語化だけでなく、事実の要約、開放的な質問、沈黙、復唱など、対話を続けるための具体的な技術が紹介されています。
相手の要求を受け入れる方法ではなく、感情が高ぶった場面でも公正さを保ち、双方が考えられる状態をつくるための方法として捉えると、苦情対応以外のさまざまな対話にも応用できます。
顧客対応を担う広報担当者や相談窓口の担当者だけでなく、社員や取引先との難しい対話に向き合う経営者、管理職にも示唆のある内容です。
関連ページ
元刑事の「説得しない」交渉術
https://www.kibiinc.co/store/products/als
出典表記
本稿は、榎本澄雄氏によるRMCAオープンセミナー「元刑事の『説得しない』交渉術」および、同氏から提供を受けた講演資料をもとに、筆者の考察を加えて執筆しています。
